summaryrefslogtreecommitdiff
path: root/test/testdata/wikipediaJa_Japan_SJIS.txt
diff options
context:
space:
mode:
Diffstat (limited to 'test/testdata/wikipediaJa_Japan_SJIS.txt')
-rw-r--r--test/testdata/wikipediaJa_Japan_SJIS.txt1266
1 files changed, 1266 insertions, 0 deletions
diff --git a/test/testdata/wikipediaJa_Japan_SJIS.txt b/test/testdata/wikipediaJa_Japan_SJIS.txt
new file mode 100644
index 0000000..79c3361
--- /dev/null
+++ b/test/testdata/wikipediaJa_Japan_SJIS.txt
@@ -0,0 +1,1266 @@
+日本
+ その他の用法については「日本 (曖昧さ回避)」、「日本国 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
+世界 > アジア > 東アジア > 日本
+日本国
+
+(国旗) (国章)[1]
+国の標語: なし
+国歌: 君が代
+
+
+
+公用語 日本語
+首都 東京都
+最大の都市 東京特別区
+政府
+天皇 明仁
+(125代目:今上天皇)
+内閣総理大臣 野田佳彦
+面積
+総計 377,914km2(60位)
+水面積率 0.8%
+人口
+総計(2010年) 128,056,026人(10位)[2]
+人口密度 339人/km2
+GDP(自国通貨表示)
+合計(2010年) 名目479兆1,757億円
+実質539兆8,546億円[3]
+GDP(MER)
+合計(2010年) 5兆4,589億ドル(3位)[4]
+GDP(PPP)
+合計(2010年) 4兆3,095億ドル(3位)
+1人あたり 33,805ドル
+形成 3 - 4世紀に統一国家形成(建国記念の日とされる紀元前660年2月11日等諸説あり)[5]
+通貨 円(JPY)
+時間帯 UTC +9(DST: なし)
+ISO 3166-1 JP / JPN
+ccTLD .jp
+国際電話番号 81
+^ 外務省によると、1920年の国際交通制度改良会議でパスポートの表紙に国章を記すように採択されたが、当時の日本に法定の国章がなかったため、デザイン化した菊の紋章(十六一重表菊)が1926年から採用されたという。外務省 外交史料 Q&A その他より。
+^ 統計局:平成22年国勢調査 人口速報集計
+^ 内閣府. “統計情報・調査結果>SNA>統計表一覧”. 2011年6月10日閲覧。
+^ IMF. “Data and Statistics>By Countries”. 2011年4月22日閲覧。
+^ #建国をめぐる議論の節も参照。
+日本国(にっぽんこく、にほんこく)、または日本(にっぽん、にほん)は、日本列島及び周辺の島々を領土とする国家である。
+目次 [非表示]
+1 国号
+1.1 由来
+1.2 日本語での発音
+1.3 別称
+2 歴史
+2.1 建国をめぐる議論
+3 地理・地勢・自然・地域
+3.1 地理・地勢
+3.2 気候・自然
+3.3 地域区分
+3.3.1 都市
+4 国民
+4.1 人口
+4.2 民族・国籍
+4.2.1 外国人・帰化人
+4.2.2 起源
+4.3 言語
+5 法・政治
+5.1 日本国憲法
+5.2 象徴天皇制
+5.3 国政
+5.4 地方政治
+5.5 法制
+5.6 報道の自由
+6 外交・国際関係
+6.1 国際連合
+6.2 アジア・オセアニア
+6.3 ユーラシア
+6.4 中央・南アメリカ
+6.5 アフリカ
+6.6 領土問題等
+6.7 渡航する日本人
+7 治安維持
+7.1 対内
+7.2 対外
+7.2.1 要員・装備・予算
+7.2.2 情勢・脅威
+8 生活・文化
+8.1 生活史・文化史
+8.2 祝祭日
+8.3 宗教
+8.4 スポーツ / マスメディア
+8.5 食文化
+8.6 社会保障
+8.7 健康・医療
+8.8 少子高齢化
+8.9 自殺
+9 教育・科学・技術
+9.1 義務教育・初等教育・中等教育
+9.2 生涯学習・教育訓練
+9.3 高等教育・基礎科学
+9.4 テクノロジー研究開発・応用科学
+10 経済・産業・交通
+10.1 規模・位置
+10.2 経済史
+10.3 農林水産業
+10.4 鉱工業
+10.5 通商・金融
+10.6 交通
+11 脚注
+12 参考文献
+13 関連項目
+14 外部リンク
+国号 [編集]
+
+
+
+日本の日の出(三重県伊勢市 伊勢神宮・宇治橋)
+「日本」という国号の表記は、太陽崇拝と相俟った中央集権的発想に基づくもの、また日本列島が中国大陸から見て東の果て、つまり「日の本(ひのもと)」に位置することに由来しているのではないかとされる[1]。憲法の表題に「日本国憲法」や「大日本帝国憲法」と示されているが、国号を「日本国」ないしは「日本」と直接かつ明確に規定した法令は存在しない。
+由来 [編集]
+「日本」の表記が定着する以前、日本列島には、中国の王朝から「倭国・倭」と称される国家があった。新羅本紀では「670年、倭国が国号を日本と改めた」とされている。「倭国」と「日本国」とはどのような関係かというと、日本書紀によれば、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、当初はこれを「ヤマト」と読んだとする[2]。旧唐書は、「倭国」と「日本国」を併記した上で、日本国は倭国の別種とし、倭国が日本国に改名した可能性と元小国の日本が倭国を併合した可能性について記している。
+「日本」という国号の表記が定着した時期は、7世紀後半から8世紀初頭までの間と考えられる。この頃の東アジアは、618年に成立した唐が勢力を拡大し、周辺諸国に強い影響を及ぼしていた。斉明天皇は658年臣の安倍氏に、外国である粛慎(樺太)征伐を命じている。663年の白村江の戦いでの倭国軍の敗戦により、唐は劉徳高や郭務?、司馬法聡らの使者を倭国に遣わし、唐と倭国の戦後処理を行っていく過程で、倭国側には唐との対等関係を目指した律令国家に変革していく必要性が生じた。これらの情勢を契機として、668年には天智天皇が日本で最初の律令である近江朝廷之令(近江令)を制定した。そして672年の壬申の乱を経て強い権力を握った天武天皇は、天皇を中心とする体制の構築を更に進め、689年の飛鳥浄御原令から701年(大宝元年)の大宝律令の制定へと至る過程において国号の表記としての「日本」は誕生したと考えられる。
+具体的な成立の時点は、史料によって特定されていない。ただしそれを推定する見解は2説に絞られる。第一説は、天武天皇の治世(672年 - 686年)に成立したとする説である[3]。これは、この治世に「天皇」の号および表記が成立したと同時期に「日本」という表記も成立したとする見解である。例えば吉田孝は、689年の飛鳥浄御原令で「天皇」表記と「日本」表記と両方が定められたと推測する[4][5]。もう一説は、701年(大宝元年)の大宝律令の成立の前後に「日本」表記が成立したとする説である[6]。例えば神野志隆光は、大宝令公式令詔書式で「日本」表記が定められたとしている[7]。但し『日本書紀』の大化元年(645年)七月条には、高句麗・百済からの使者への詔には「明神御宇日本天皇」とあるが、今日これは、後に定められた大宝律令公式令を元に、『日本書紀』(720年(養老4年)成立)の編者が潤色を加えたものと考えられている[8]。
+8世紀前半の唐で成立した『唐暦』には、702年(大宝2年)に「日本国」からの遣使(遣唐使)があったと記されている[9]。後代に成立した『旧唐書』[10]、『新唐書』[11]にも、この時の遣唐使によって「日本」という新国号が唐(武則天、大周)へ伝えられたとの記述がある。両書とも「日の出の地に近いことが国号の由来である」とする。国号の変更理由については「雅でない倭国の名を嫌ったからだ」という日本国側からの説明を記載するものの、倭国と日本国との関係については、単なる国号の変更ではない可能性について言及している。すなわち、『旧唐書』は「小国だった日本が倭国を併合した」とし、『新唐書』は「倭が日本を併合し、国号を奪った」としている[12]。いずれにせよ、これらの記述により、702年に「日本」国号が唐によって承認されたことが確認できる。
+これまでに発見されている「日本」国号が記された最古の実物史料は、開元22年(734年、日本:天平6年)銘の井真成墓誌である[13]。但し2011年7月、祢軍という名の百済人武将の墓誌に「日本」の文字が見つかったという論文が中国で発表された。墓誌は678年制作と考えられており、事実なら日本という国号の成立は従来説から、さらに遡ることになる[14]。
+『旧唐書』・『新唐書』が記すように、「日本」国号は、日本列島を東方に見る国、つまり中国大陸からの視点に立った呼称である[15]。平安時代初期に成立した『弘仁私記』序にて、日本国が中国に対して「日の本」、つまり東方に所在することが日本の由来であると説明され、平安時代に数度に渡って行われた日本書紀の講読の様子を記す『日本書紀私記』諸本においても中国の視点により名付けられたとする説が採られている[16]。
+『隋書』東夷伝に、倭王が隋皇帝への国書に「日出ずる処の天子」と自称したとあり、このときの「日出ずる処」という語句が「日本」国号の淵源となったとする主張もある。しかし、「日出ずる処」について、仏典『大智度論』に東方の別表現である旨の記述があるため、現在、単に文飾に過ぎないとする指摘もある[17]。
+日本語での発音 [編集]
+「にっぽん」、「にほん」と読まれる。日本政府は正式な読み方をどちらか一方には定めておらず、どちらの読みでも良いとしている[18]。雅語で「ひのもと」と読むこともある[19][20]。
+「日本」の国号が成立する以前、日本列島には、中国の王朝から「倭国」・「倭」と称される国家ないし民族があった。日本書紀は、「ヤマト」の勢力が中心に倭を統一した古代の日本では、漢字の流入と共に「倭」を借字として「ヤマト」と読むようになり、やがて、その「ヤマト」に当てる漢字を「倭」から「日本」に変更し、これを「ヤマト」と読んだとするが、旧唐書など、これを疑う立場もある[21]。
+同時に、7世紀の後半の国際関係から生じた「日本」国号は、当時の国際的な読み(音読)で「ニッポン」(呉音)ないし「ジッポン」(漢音)と読まれたものと推測される[22]。いつ「ニホン」の読みが始まったか定かでない。平安時代の仮名表記では、促音・濁音の区別が無かったため、「ニッポン」音も「にほん」と表記された。ここから「ニホン」の読みが起こったと考えられる。平安時代には「ひのもと」とも和訓されるようになった。
+室町時代の謡曲・狂言は、中国人に「ニッポン」と読ませ、日本人に「ニホン」と読ませている。安土桃山時代にポルトガル人が編纂した『日葡辞書』や『日本小文典』等には、「ニッポン」「ニホン」「ジッポン」の読みが見られ、その用例から判断すると、改まった場面・強調したい場合に「ニッポン」が使われ、日常の場面で「ニホン」が使われていた[23]。このことから小池清治は、中世の日本人が中国語的な語感のある「ジッポン」を使用したのは、中国人・西洋人など対外的な場面に限定されていて、日常だと「ニッポン」「ニホン」が用いられていたのでは、と推測している[24]。なお、現在に伝わっていない「ジッポン」音については、その他の言語も参照。
+その後、明治に入っても「ニッポン」「ニホン」が統一されない中、1934年(昭和9年)には文部省臨時国語調査会が「にっぽん」に統一して外国語表記もJapanを廃してNipponを使用するという案を示したが、不完全に終わった。2009年(平成21年)6月30日には、政府が「『にっぽん』『にほん』という読み方については、いずれも広く通用しており、どちらか一方に統一する必要はない」とする答弁書を閣議決定した[18]。現在、通商や交流の点で海外と関連のある紙幣、切手などに「NIPPON」と描かれ(紙幣発券者も「にっぽんぎんこう」である)、「ニッポン放送」「アール・エフ・ラジオ日本(にっぽん)」などがある一方、「NIHON」表記を用いる例は、日本大学、日本航空、JR東日本・JR西日本、日本ユニシス、日本相撲協会、日本オリンピック委員会などがある。なお、(国会に複数の議席を有したことのある)日本の政党名における読みは、以下の通り。
+「ニッポン」
+日本社会党 (1945-1996)、日本自由党 (1953-1954)、新党日本 (2005-)、たちあがれ日本 (2010-)
+「ニホン」
+日本共産党 (1922-)、日本労農党 (1926-28)、日本自由党 (1945-1948)、日本進歩党 (1945-47)、日本協同党 (1945-46)、日本農民党 (1947-49)、日本民主党 (1954-55)、日本新党 (1992-94)
+別称 [編集]
+古くから多様である。
+和語
+「葦原中国」(『古事記』、『日本書紀』神代)
+「豊葦原(とよあしはら)」
+「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)
+「豊葦原千五百秋瑞穂国(とよあしはらのちいほあきのみずほのくに)」(『日本書紀』神代)
+- 「葦原」は、豊穣な地を表すとも、かつての一地名とも言われる。
+「秋津島」
+「大倭豊秋津島」(『古事記』)
+「大日本豊秋津洲」(『日本書紀』神代)
+- 「秋津」は、「とんぼの島」の意。孝安天皇の都の名「室秋津島宮」に由来するとされる。
+「師木島」(『古事記』)
+「磯城島」「志貴島」(『万葉集』)
+「敷島」
+- 「しきしま」は、欽明天皇の都「磯城島金刺宮」に由来するとされる。
+「大八島」
+「大八洲」(『養老令』)
+「大八洲国」(『日本書紀』神代)
+- 古事記の国生み神話で、最初に創造された八個の島で構成される国の意。順に淡路島:四国:隠岐:九州:壱岐:対馬:佐渡:本州。
+「磯輪上秀真国」「細矛千足国」「玉垣内国」(『神皇正統記』)
+「大和」「大和国」
+「瑞穂」
+「浦安国」
+「日出処」
+漢語
+「倭」「倭国」「大倭国(大和国)」「倭奴国」「倭人国」の他、扶桑蓬莱伝説に準えた「扶桑」[25]、「蓬莱」などの雅称があるが、雅称としては特に瀛州(えいしゅう)・東瀛(とうえい)と記される[26]。このほかにも、「東海姫氏国」「東海女国」「女子国」「君子国」「若木国」「日域」「日東」「日下」「烏卯国」「阿母郷」(阿母山・波母郷・波母山)などがあった。
+「皇朝」は、もともと中原の天子の王朝をさす漢語だが、日本で天皇の王朝をさす漢文的表現として使われ、国学者はこれを「すめみかど」ないし「すめらみかど」などと訓読した。「神国」「皇国」「神州」「天朝」「天子国」などは雅語(美称)たる「皇朝」の言い替えであって、国名や国号の類でない。「本朝」も「我が国」といった意味であって国名でない。江戸時代の儒学者などは、日本を指して「中華」「中原」「中朝」「中域」「中国」などと書くことがあったが、これも国名でない。「大日本」と大を付けるのは、国名の前に大・皇・有・聖などの字を付けて天子の王朝であることを示す中国の習慣から来ている[27]。ただし、「おおやまと」と読む場合、古称の一つである。「帝国」はもともと「神国、皇国、神州」と同義だったが、近代以後、"empire"の訳語として使われている。大日本帝国憲法の後、「大日本帝国」の他、「日本」「日本国」「日本帝国」「大日本国」などといった表記が用いられた。戦後の国号としては「日本国」が専ら用いられる[28]。
+倭漢通用
+江戸初期の神道家である出口延佳と山本広足が著した『日本書紀神代講述鈔』[29]に、倭漢通用の国称が掲載されている。
+「倭国」
+「和面国」
+「和人国」
+「野馬台国」、「耶摩堆」
+「姫氏国」、「女王国」
+「扶桑国」
+「君子国」
+「日本国」
+その他の言語
+英語の公式な表記は、Japan(ジャパン)。形容詞はJapanese(ジャパニーズ)。略記は、JPNが用いられる。JAP(ジャップ)は、侮蔑的な意味があるので注意が必要である。Nippon(ニッポン)が用いられる例も見られ、具体的には、UPU等によるローマ字表記(1965年(昭和40年)以降)、郵便切手や日本銀行券などでNippon表記を用いている。略称は、NPNが用いられる。
+その他、各国語で日本を意味する固有名詞は、アン チャパイン(愛: an tSeapain)、ヤーパン(独: Japan)、ジャポン(仏: Japon)、ハポン(西: Japon)、ジャッポーネ(伊: Giappone)、ヤポニヤ(波: Japonia)、イィポーニヤ(露: Япония)、イープン(泰: ???????)など、特定の時期に特定の地域の中国語で「日本国」を発音した「ジーパングォ」を写し取った(日本語読みの「ジッポン」に由来するとの説もある)、ジパング(Xipangu/Zipang/Zipangu)ないしジャパング(Japangu)を語源とすると考えられる。
+漢字文化圏においては、リーベン(中: rib?n; 日本)[30]、イルボン(朝: ??; 日本)、ニャッバーン(越: Nh?t B?n; 日本)[31]など、「日本」をそのまま自国語の発音で読んでいる。
+固有名詞の一般名詞化
+英語で陶器をチャイナというように、漆、漆器をジャパンという。
+欧州発行の古地図上での表記
+「IAPAN」1567年頃[32]
+「JAPAN」発行年不明[33]
+「IAPONIAE」1595年[34]
+「IAPONIA」1595年[35]
+「IAPONIA」1595年[36]
+「IAPONIA」1598年[37]
+「Iapan」1632年[38]
+「IAPONIA」1655年[39]
+「IAPON」発行年不明[40]
+「Iapan」1657年[41]
+「IAPONIA」1660年頃[42]
+「NIPHON」1694年頃[43]
+「IAPON」17世紀[44]
+「IMPERIUM IAPONICUM」18世紀初[45]
+「IMPERIUM IAPONICUM」1710年頃[46]
+「IAPONIA」18世紀初[47]
+「IAPON」1720-30年[48]
+「IMPERIVM JAPONICVM」1727年[49]
+「HET KONINKRYK JAPAN」1730年頃[50]
+「JAPANIA REGNVM」1739年[51]
+歴史 [編集]
+
+日本の歴史
+
+旧石器時代
+縄文時代
+弥生時代
+古墳時代
+飛鳥時代
+奈良時代
+平安時代
+鎌倉時代
+室町時代
+建武の新政
+南北朝時代
+戦国時代
+安土桃山時代
+江戸時代
+幕末
+明治時代
+大正時代
+昭和時代
+連合国軍占領下の日本
+平成
+Category:日本のテーマ史
+表・話・編・歴
+
+
+戊辰戦争中の薩摩藩の武士(着色写真)。フェリーチェ・ベアト撮影
+通常、日本の歴史は、日本列島における歴史と同一視される。しかし、厳密な「日本」の成立は、国号にあるように7世紀後期であり、それまでは倭国と呼び記されていた。この倭国がどのような地理的範囲あるいは系統的範囲をもつ集団であるかについては史料に明確にされておらず、多くの学術上の仮説が提出されている。倭国と日本国との関係は諸説あり、「日本の歴史」と「日本列島の歴史」とを明確に区別して捉えるべきとする考えも示されている[52]。
+時代の区分は、考古学上のものと歴史学上のものとがある。考古学上は、旧石器時代(先土器時代)、縄文時代、弥生時代、歴史時代、とするのが一般的である。一方、歴史学上は、古代(古墳時代から・飛鳥時代・奈良時代・平安時代)、中世(鎌倉時代・室町時代・戦国時代)、近世(安土桃山時代・江戸時代)、近代(明治維新から1945年8月14日まで)および現代(1945年8月15日以降)の五分法が通説である[53]。
+日本列島における人類の歴史は、次第に人が住み始めた約10万年前以前ないし約3万年前に始まったとされる。当時の日本列島は、アジア大陸と陸続きで、西方の華北や北方のシベリアとの文化交流も見られた。約1万2千年前の前後に最終氷期が終わると、大陸から分離した。この後も列島と大陸との間に活発な通交・交流が行われ、巨視的には、日本列島も中国を中心とする東アジア文化圏の影響下にあった。だが、東アジアの最東方に所在する大きな島国、という地理的条件により、他の東アジア地域と異質な要素を持つ独自の文化・社会・政治体制を発達させた。
+紀元前8世紀頃以降、中国南部から稲作を中心とする文化様式が伝わると、各地に「クニ」と呼ばれる地域的政治集団が徐々に形成される。1世紀・2世紀前後に各クニが抗争を繰り返し、各地に地域的連合国家を形成した。この中でも最も有力であったヤマトを盟主として統一王権(ヤマト王権)が形成され、これが王朝に発展したとする説が有力である。同時期まで、ツングース系中国人の国家である百済や新羅に対して、度重なる出兵を行い朝鮮半島に影響力を持っていたが、663年、百済復興のために援軍を送った白村江の戦いで新羅・唐の連合軍に敗れて半島への影響力を失う。その後間もなくヤマト王権は「日本」国号と「天皇」称号を設定して、中国と対等な外交関係を結ぼうとする姿勢を見せ、中国を中心とする冊封体制からの自立を明確にした。これは、他の東アジア諸国と異質な外交姿勢であり、その後の日本にも多かれ少なかれ引き継がれた。日本は7世紀後半に中国の法体系・社会制度を急速に摂取し、8世紀初頭に古代国家(律令国家)としての完成を見た。
+日本は、東アジアの中でも独特の国際的な地位を保持し続け、7世紀に中華王朝に対して独自の「天子」を称し、8世紀には渤海を朝貢国とした。武家政権成立後も、13世紀の元寇、16世紀のヨーロッパのアジア進出、19世紀の欧米列強の進出など、様々な事態にも対応して独立を維持した。
+成立当時の日本の支配地域は、日本列島の全域に及ぶものでなく、九州南部以南および東北中部以北は、まだ領域外だった。九州南部は、8世紀末に組み込まれた(隼人)が、抵抗の強かった東北地方の全域が領域に組み込まれたのは、平安時代後期に入ってからである(延久蝦夷合戦)。特に8・9世紀は、蝦夷の征服活動が活発化すると共に新羅遠征も計画されるなど帝国としての対外志向が強まった時期だが、10世紀に入り、こうした動きも沈静化した。
+10世紀から12世紀に掛け、旧来の天皇を中心とする古代の律令国家体制が大きく変質し、社会各階層への分権化が進んだ王朝国家体制、更に中世国家へと移行した(荘園公領制・職の体系)。12世紀頃(平安末期)から起請文などの古文書に「日本」や「日本国」の表記が見られ始め、「日本」や「日本人」の意識が強く意識されるようになったことの表れと考えられる。特に13世紀後半の元寇は、「日本」・「日本人」の意識が社会各層に広く浸透する契機となり、併せて「神国」観念を定着させた。網野善彦は、このような「日本」・「日本人」意識は、外国のみならず神仏などをも含む「異界」に対する関係性の中で醸成されたとしている[54]。室町時代までには、安東氏の活動を通じて「日本」の領域が北海道の南部まで及んだ。
+14世紀から15世紀までの時期には、社会の中世的な分権化が一層進展したが、15世紀後半頃から戦国大名勢力による地域国家の形成が急速に進んだ。この地域国家の形成は、中世社会の再統合へと繋がり、16世紀末に日本の統一政権が樹立されるに至り、近世へと移行した。日本の領域は、この時期にも変動している。16世紀末に蠣崎氏が北海道の南部に本拠を置き、北海道・千島・樺太を含む蝦夷地の支配権を得た。蝦夷地は、日本の領域とされることもあれば、領域外とされることもある、言わば「境界」とも言うべき地域だったが、17世紀にシャクシャインの戦いやロシア帝国の進出によって北方への関心が強まると、日本の領域も「蝦夷が島」(北海道)以南と意識されるようになった。南方に目を向けると、中世を通じて鬼界島・硫黄島までが西の境界と意識された。17世紀初めに薩摩島津氏が琉球王国を侵攻して、奄美群島を直轄地にし、沖縄諸島及び先島諸島(宮古列島及び八重山列島)の琉球王府の支配地から米・砂糖を上納させた[55]が、その後も琉球王国は、日本・中国への両属を続けた。
+19世紀中葉に入り、欧米列強との接触が飛躍的に増えると、列強各国に対する他者意識の裏返しとしての「日本」・「日本人」意識がさらに強まり、ほぼ現代の「日本」・「日本人」意識と一致するまでに至った。大航海時代以降、アジア各国が欧米列強の植民地とされる中で日本が独立を長く保ったことは、後の国民国家意識にそのまま繋がる民族・国民意識の醸成をもたらし、結果として明治維新以降の近代国家建設がスムーズに行われる基礎となった。
+明治維新に伴う近代化により、近代的な国民国家の建設を急速に進めた。同時に近隣国と国境の確定を行い、1875年(明治8年)に樺太全域をロシア領とする代わりに占守島以南の千島列島全域を日本領とし(樺太・千島交換条約)、1876(明治9)年に小笠原諸島の領有を宣言[56]し、また、琉球処分を通じて南西諸島方面の実効的な支配に成功し、ここに一旦、近代国家としての日本国の領域が確定した。
+自由民権運動を経て1885年(明治18年)に内閣制度を確立し、1889年(明治22年)に大日本帝国憲法を制定し、1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙を実施して帝国議会を設置した。こうして、アジアで初めて憲法と議会とを持つ、近代的な立憲国家となった[57]。
+19世紀後半から20世紀初頭の帝国主義的な国際情勢の中で、東アジアに一定の勢力圏を築く必要に迫られ、日清戦争や日露戦争を経て勢力圏の確保を進めた。両戦争を通じ、台湾・澎湖諸島および南樺太を領土に収め、関東州の租借権を獲得した。その後、1910年(明治43年)に韓国併合が実施された。1919年(大正8年)にパリ講和会議で人種差別撤廃案を提出した(アメリカ合衆国などが反対)。また、発足した国際連盟からの委任を受けて南洋群島を統治することとなった。大正時代に大正デモクラシーが起こり、政党政治や男子普通選挙が実現した。
+1930年代に中国東北部への侵略を強め[58]、「満洲国」を建国して一定の支配権を得るに至り、軍部が台頭した[59]。こうした対外志向は、特にアメリカ合衆国を始めとする欧米諸国の権益と真っ向から衝突し、最終的に1945年(昭和20年)の第二次世界大戦(十五年戦争・アジア太平洋戦争・太平洋戦争・大東亜戦争)の敗北によって破局に至った。
+そして、アメリカ・イギリスなどの連合国により、史上初めて占領下に置かれ、日清戦争以降に獲得した領有権・統治権の総てを失った。占領下に国制の改革が進められ、憲法改正を行って日本国憲法を制定した。1952年(昭和27年)の平和条約によって全権を回復し、戦後、復興と共に1970年代半ばまでに目覚しい経済発展を遂げ(高度経済成長#日本の高度経済成長)、世界有数の経済大国となった。また、1952年(昭和27年)から1953年(昭和28年)にかけてトカラ列島や奄美群島、1968年(昭和43年)に小笠原諸島、1972年(昭和47年)に沖縄県の施政権がそれぞれアメリカから返還された(本土復帰、沖縄返還)。
+1970年代以降は先進国の一員として国際的役割を果たし、多くの発展途上国で成長モデルとして目標にされた。21世紀に至り、高齢化社会に伴う人口減少、国内産業の空洞化など先進国特有の問題が深刻化。中国・インド・ブラジルをはじめとする新興大国の政治的・経済的台頭のなか、欧米や日本などの先進諸国は相対的に不利な立場に立たされている。
+建国をめぐる議論 [編集]
+
+
+日本の初代天皇とされる神武天皇
+「神国」および「皇国史観」も参照
+国家としての日本、日本の民族・文化は、有史以前からの長い年月を経て段階的に形成されて来ていて、明確な建国の時期を示す記録は存在しない。建国記念の日(旧紀元節)は、記紀で神武天皇が即位したとされる日(紀元前660年1月1日〔旧暦〕、2月11日〔新暦〕)となっている。
+『日本書紀』神武紀に、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が辛酉年春正月庚辰朔(1月1日)に即位したとの記述があり、古代以来、これが日本建国の画期と広く考えられていた。明治5年11月15日(1872年12月15日)には、神武天皇即位紀元が西暦紀元前660年に始まると定められ、これを元年とする紀年法・「皇紀」が明治6年1月1日(1873年1月1日)から使用された[60]。
+公的には、この神武天皇即位紀元をもとに1957年頃から「建国記念日」制定に関する法案が9度に渡り提出されてきたが、歴史学の立場から見る神武天皇の即位は、当の記紀に何人もの人が100歳以上生きていたなどの記述もある事から神話と見られ事実でないとするのが戦後の大勢であったため、いずれも成立には至らなかった。しかし1966年(昭和41年)建国記念の日となる日を定める政令(昭和41年政令第376号)により、2月11日が"建国されたという事象そのものを記念する日"とも曲解できるよう間に"の"を入れた「建国記念の日」に定められた。神武天皇の存在については実在論もあり、議論は続いている。また戦後、皇紀の使用は、一部を除き殆ど無くなった[61]。
+建国の時期として、この他に「日本」国号が定められた時期(飛鳥浄御原令ないし大宝律令の成立)や大政奉還が為されて近代国家の建設が始まった明治維新の時期などが挙げられることもある。しかし、国家としての日本は、長い歴史的な経緯を経て形成され、明確な建国の画期を見出すこと自体が困難と言え、主観的なものとなりがちである。
+地理・地勢・自然・地域 [編集]
+
+詳細は「日本の地理」、「日本の山一覧」、および「都道府県の面積一覧」を参照
+
+
+日本の衛星写真
+
+
+日本列島の地形図。国土は全般的に山岳地帯であり、可住地面積は国土全体の約32%にとどまる(2001年10月1日時点)。本州島の東部、太平洋沖にある日本海溝は古代から大津波地震を引き起こしてきたことで知られる。
+日本は明治以来、憲法における領土規定がなく、これは比較法学の観点では特殊なものであった[62]。島嶼部についての領有宣言、あるいは周辺諸国との条約がおもに領土領陸の法規範であり、第二次大戦後は日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)が主要な法規範を形成している。
+地理・地勢 [編集]
+日本の領土はすべて島から成っている。6852の島(本土5島+離島6847島)[63]から成る島国である。
+アジア・東アジアの中でも特に東方にあり、ユーラシアの東端にあたるため、欧米から極東・東洋などとも呼ばれる。全体的に弓形状であり、全面積は約37.8万km2(日本政府が領有権を主張する領域)で世界第61位である。国土の約70%が山岳地帯であり、約67%の森林率である。
+太平洋の北西部にある領土は、本州・北海道・九州・四国などから成る日本列島を中心に、南に延びる伊豆・小笠原諸島、南西に延びる南西諸島(沖縄本島など)、及び北東に位置する北方四島(北方領土)など、離島を多く含み、全体として弧状列島を形成する。
+最東端
+東京都南鳥島 (北緯24度16分59秒・東経153度59分11秒)
+最西端
+沖縄県与那国島西崎 (北緯24度26分58秒・東経122度56分01秒)
+「日本の最〜端」のなかで唯一、公共交通機関で訪れることができる場所である。
+最南端
+東京都沖ノ鳥島 (北緯20度25分31秒・東経136度04分11秒)
+最北端
+北海道弁天島 (北緯45度31分35秒、東経141度55分09秒)(日本政府の実効支配下にある領域の最北端)
+北海道択捉島カモイワッカ岬 (北緯45度33分28秒・東経148度45分14秒)(日本政府が領有権を主張する領域の最北端)
+周囲を太平洋、日本海、東シナ海、フィリピン海、オホーツク海などの海洋に囲まれる。本州と四国との間の海は瀬戸内海と呼ばれる。地上の国境線が無く、ロシア、北朝鮮、台湾、韓国、中国、フィリピン、アメリカと排他的経済水域が接している。また、南方にパラオ共和国、小笠原諸島の延長線上にミクロネシア連邦があり、太平洋を挟んでアメリカ大陸がある。沖合を暖流の黒潮、対馬海流、寒流の親潮、リマン海流が流れる。
+領土問題のある地域が数箇所存在する。日本国政府が日本固有の領土とみなしている北方領土はロシアに、島根県に属する竹島は韓国に、それぞれ不法占拠(実効支配)されている(北方領土問題は1945年、竹島問題は1952年以降)。 一方、日本政府は領土問題は存在しないとする立場をとっているものの、1968年以降、中国と台湾が沖縄県石垣市に属する尖閣諸島の領有権を主張している。 樺太・千島列島を日本領と主張する有識者、団体も存在する。
+自然地理的区分は、地質構造を基準に、本州中部を南北に縦断する糸魚川静岡構造線を境に、南西日本と東北日本とに大別される。付近では、ユーラシアプレート、フィリピン海プレート、太平洋プレート、北アメリカプレートがせめぎ合い、環太平洋造山帯・環太平洋火山帯・環太平洋地震帯と呼ばれる帯の一環をなしている。そのため、世界全体で放出される地震エネルギーのうち1割から2割が日本の周辺に集中すると言われているほど地震が頻発し、震度1や2クラス程度の地震なら、どこかで毎日のように起きている。また、火山活動が活発な事から火山性土壌が多く、これが日本列島の自然を豊かにした面もある。温泉が多い事も火山の恵みと言える。
+河川は、利根川・最上川などが代表的であるが、大陸河川と違い、源流から河口までの距離が大変に短いこと、海抜高低差が急なこともあり、比較的流れが速い。集中豪雨が発生すると堤防が決壊し、人家・田畑に甚大な被害を及ぼすという短所もあるが、比較的新鮮な水が取水しやすいのも特色である。
+周囲を海に囲まれた島国であることから、海上交易・漁業ともに盛んな海洋国家である。内海を含む領海を入れた領域の面積は約43万km2である[64]。
+日本政府が主張する日本の排他的経済水域(EEZ)は領土面積の約12倍である405万km2、領海とEEZを合計すると447km2であり世界では6位となる[65]。ただし韓国が実行支配し日本が領有権を主張している竹島と日本が支配し中国が領有権を主張している尖閣諸島周辺海域についてはそれぞれの国家間で合意に至っていない。また、九州西方と東シナ海の領域については中国と韓国が自国の領海から延伸する大陸棚に関して権利を主張している。
+EEZとは別に国連海洋法条約において排他的な海底資源権益が与えられる法的な大陸棚については、2012年4月に国連大陸棚境界委員会が「四国海盆海域」、「小笠原海台海域」、「南硫黄島海域」、「沖大東海嶺南方海域」の4海域を日本の大陸棚と認定した[66]。
+気候・自然 [編集]
+気候
+ケッペンの気候区分によると、本州以南沖縄諸島・宮古列島・大東諸島以北の大半が温帯多雨夏高温気候(Cfa)(多良間島・八重山列島(石垣島・西表島・与那国島・波照間島)・沖大東島などでは熱帯雨林気候(Af))に属する一方、北海道などが亜寒帯湿潤夏冷涼気候(Dfb)を示す[67]。モンスーンの影響を受け四季の変化がはっきりしているものの、全般的には海洋性気候のため大陸と比較して冬の寒さはそれほど厳しくなく温和な気候である。
+冬季は、シベリア高気圧が優勢となり北西の季節風が吹くが、その通り道である日本海で暖流の対馬海流から大量の水蒸気が蒸発するため、大量の雪を降らせる。そのため、日本海側を中心に国土の約52%が世界でも有数の豪雪地帯となる。太平洋側では、空気が乾燥した晴天の日が多い。
+夏季は、太平洋高気圧の影響が強く、高温多湿の日が続く。台風も多い。但し、北部を中心にオホーツク海高気圧の影響が強くなると低温となり、しばしば農業に影響を与える。
+比較的、降水量の多い地域である。主な要因は、日本海側での冬季の降雪、6・7月(沖縄・奄美は5・6月)に前線が停滞して起こる梅雨、夏季から秋季にかけて南方海上から接近・上陸する台風など。年間降水量は、約1,700mmとされる。
+生態系
+南北に長く、また、森林限界を越える高山帯や広い海洋、四季の変化により、面積の広さに比べ、生息する動物や植物の種類が豊富である。津軽海峡以北の北海道の生態系は沿海州の生態系に似ており、ブラキストン線という境界が提唱されている。屋久島と南西諸島の間には、温帯と亜熱帯の生態系の境界である渡瀬線が提唱されている。このほか海峡を主にに複数の分布境界線が提唱されている。
+四方が海で囲まれているため、外部から新しい生物が侵入してくる可能性が低かった。それに加え、多くの離島があるため、その島独自の生態系が維持されてきた土地が多数ある。特に小笠原諸島や南西諸島は、古くから本土と比べて孤立した生態系を築いてきたため、その島に固有の動植物が多く生息している。小笠原諸島は、「東洋のガラパゴス」と呼ばれるほど特殊な生態系を持つ。南西諸島でも、西表島のイリオモテヤマネコをはじめ、固有生物が島ごとに生息している例がある。だが、近年の開発や人間が持ち込んだ外来生物により、生態系は激変し、固有の動植物の生息が脅かされている場所が多い。
+植物・森林
+
+
+桜は古来多くの和歌に詠まれ、また近世以降は日本を象徴する花とされる(福島県三春町 三春滝桜)
+熱帯のものから亜寒帯のもの、さらには高山ツンドラに生育する高山植物に至るまで植物の種類が豊富で多様性に富む。降水に恵まれ、高湿度に適した植物が多く分布している。コケ植物やシダ植物などが特に豊富。大陸から離れた地形から、スギなどの日本固有種が広く分布する。慣習的に桜と菊が国花と同等の扱いを受ける。この他、各自治体でも独自の木や花を制定している。
+陸地の約3分の2が森林(森林率66%[68]・森林面積:2,512万ha・2009年(平成21年)現在)である。亜熱帯から亜寒帯に渡る、どの地域でも年間の雨量が十分で、森林の成立が可能である。平地の植生は、南の約3分の2が常緑広葉樹林、いわゆる照葉樹林という型であり、北の約3分の1が落葉広葉樹林、ブナ林を代表とする森林である。標高の高い地域では、更に常緑針葉樹林、一部に落葉針葉樹林がある。南西諸島の一部は熱帯に属し、沿海の干潟にはマングローブが発達する。
+
+
+秋の紅葉(京都府京都市 嵐山・宝厳院)
+この森林面積の内訳は、天然林が53%(1,335万ha)、人工林が41%(1,036万ha)、その他(標高などの条件で未生育の森林など)が6%、となっている。内、人工林は、第二次世界大戦後の拡大造林の影響を受けたことから、スギ林が多数(452万ha)を占める。これは、高度経済成長期に木材需要の逼迫から大量の天然林が伐採され、木材の生産効率のみを考えたスギ・ヒノキ林に更新されたためである。その後海外からの輸入量が急増し、一転して木材の価格が暴落した結果、採算の取れない人工林の多くが取り残される結果となった。放棄されたスギ林では、下層植生が発達せず貧弱な生態系となり、防災や水源涵養の面でも問題が多い。
+動物
+哺乳類
+詳細は「日本の哺乳類一覧」を参照
+100種強が生息し、その内、固有種が3割を超え、7属が固有属である。日本の哺乳類相は、北海道と本州との間にあるブラキストン線、また、南西諸島のうち、トカラ列島と奄美群島との間にある渡瀬線で区切られ、これらを境に異なる動物群が生息している。
+大型哺乳類では、北海道のヒグマ、エゾシカ、本州のツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンカモシカなどがいる。
+固有種であるニホンザルのうち、下北半島に住む個体群は、世界で最も北方に棲息するサルである。ニホンオオカミ、エゾオオカミ、ニホンアシカ、及び、日本のラッコ個体群は絶滅し、ニホンカワウソも絶滅の可能性が高い。
+鳥類
+詳細は「日本の野鳥一覧」を参照
+
+
+日本の国鳥のキジ
+500種を越える鳥類が観察される。四方の海に加え、水源が豊富な日本では、河川や池、湖が多く、それに棲む水鳥の種類が豊富である。日本列島はシベリアで繁殖する鳥の越冬地であり、東南アジアなど南方で越冬した鳥が繁殖する地であり、さらに北方から南方に渡る渡り鳥が通過する中継地としても重要で、季節によって多彩な渡り鳥を観察することができる。近年、乱開発による干潟の減少や、東南アジアの森林の破壊が、日本で見られる鳥類の存続の脅威となっている。水鳥の生息地として国際的に重要な37の湿地が、ラムサール条約に登録され保護されている[69]。
+渡りをしない留鳥としては、国鳥のキジなどがあげられる。人家の近くには、カラス、スズメ、ハト、ツバメ、ハクセキレイなどが生息し、古来より文化の中で親しまれてきた。最近ではヒヨドリやムクドリが人家周辺に多い。
+固有種は、メグロなどがある。トキの個体群は、絶滅。現在、佐渡市で人工的に繁殖されているトキは、中国の個体群から借り入れたものである。
+爬虫類・両生類
+いずれも亜熱帯に種類が多く、南西諸島に半分以上の種が集中する。これは、島ごとの種分化が進んでいるためでもある。本土における島ごとの種分化は、さほど見られない。例外は、サンショウウオ類で、南西諸島に見られないが、本土の各地方での種分化が進み、多くの種を産することで世界的にも知られる。また、現存する世界最大の両生類であるオオサンショウウオは、日本を代表する両生類として世界的に知られる。
+魚類
+詳細は「日本の淡水魚一覧」を参照
+近海の魚類は、種類、数、共に豊かで、三陸海岸沖から千島列島に掛けてが世界三大漁場の一つに数えられる。近海を暖流と寒流とが流れ、これらの接点である潮境でプランクトンが発生しやすいことや、周辺に広い大陸棚や多様で複雑な海岸を持つこと、などが好条件となっている。淡水魚の種は、大陸に比べて河川の規模が小さいため、多くない。古代湖である琵琶湖などに多彩な種が棲息するものの、アユなど食用に供される種の人為的な放流や外来魚の勢力拡大により、希少種の絶滅や淡水魚類相の激変が問題となっている。他方、雨量の多い気候のために河口域に汽水域が出来やすく、貝類も豊富である。
+また、2010年に海洋生物センサス(Census of Marine Life)が出した報告により、日本近海は、世界25箇所の代表的な海の中で最多となる、約3万3000種の海洋生物が生息していることが明らかとなった[70]。これは日本の気候が南北に渡って非常に多彩であり、同時に大きな海流に恵まれ、海水が多くの栄養を持っていることを示している。例えば北海道は流氷の南限であるのに対し、南西諸島及び小笠原諸島はサンゴ生育の北限である。
+昆虫
+亜熱帯のものから亜寒帯のものまで種類が豊富で多様性に富む。森林が多いため、数も多い。都市部でも多くの昆虫が見られる。雨が多く、湿地や水田が各地にあるため、特にトンボの種類が多い。また、カブトムシなど里山に暮らす昆虫も多く見られたが、暮らしの変化と共に少なくなった。江戸時代頃からスズムシやコオロギの鳴き声を楽しむために飼育が行われてきた。愛玩対象として昆虫を飼う文化は、世界的にも珍しい。オオムラサキが国蝶。
+環境・公害
+
+
+富士山は標高3776mの日本最高峰かつ日本の象徴とされる(葛飾北斎)
+詳細は「日本の環境と環境政策」を参照
+1950-60年代、四大公害病を始めとした大規模な公害の発生から、1967年(昭和42年)の公害対策基本法を始めに水質汚濁や大気汚染などの規制法が相次いで成立した。これを受け、日本企業は、オイルショックのためにマイナス成長下にあった1973年(昭和48年)-1976年(昭和51年)の前後に集中して公害の防止への投資を行い、1970年代以降、大規模な公害の件数が急速に減少した。また、この投資は、オイルショック下の日本経済の下支えの役割を果たしたため、「日本は公害対策と経済成長を両立させた」と言われる[71]。
+しかし、日本列島改造論が叫ばれた1970年代以降、地域振興を名目に道路建設や圃場整備などの公共事業、リゾート開発などの大型開発が盛んに行われ、日本固有の風致や生態系は大きく損われてしまった。また、ゴミ問題のために富士山の世界遺産登録を断念したことに象徴されるように、環境管理においても多くの課題を抱える。人工林の荒廃やダム建設などによって河川や山林の生態系が衰退していることにより、ニホンザルやイノシシが市街地に出没するなど、人間の生活への影響も出ている。
+高度経済成長期以降、日本人の食卓の変化や、海外の農産品の輸入増加、東京一極集中、天然林の伐採、地域振興における公共事業偏重など様々な要因により、農山村や農林水産業が衰退した。これに伴い、耕作放棄地の増加、人工林の荒廃、水産資源の減少などの問題が発生している。
+地域区分 [編集]
+
+
+日本の地方、および各都道府県の位置
+詳細は「日本の地域」を参照
+都道府県(1都1道2府43県)という広域行政区画から構成される。但し、地域区分(地方区分)には、揺れが見られる。また、一部の市は、行政上、別途政令指定都市、中核市、特例市に定められている。他にも、市町村や、町村をまとめた郡がある(全国市町村一覧参照)。
+北海道地方
+1.北海道
+東北地方
+2.青森県 - 3.岩手県 - 4.宮城県 - 5.秋田県 - 6.山形県 - 7.福島県
+関東地方
+8.茨城県 - 9.栃木県 - 10.群馬県 - 11.埼玉県 - 12.千葉県 - 13.東京都 - 14.神奈川県
+上記は「一都六県」。「首都圏」はこれに山梨県を、「広域関東圏」には関東地方1都6県に親不知浜名湖線以東の新潟・山梨・長野・静岡の4県を、それぞれ加える。
+中部地方[72][73]
+北陸地方[74][75][76]
+15.新潟県 - 16.富山県 - 17.石川県 - 18.福井県
+福井県嶺南地域を近畿地方に含める場合がある。
+新潟県を北陸地方に含めず、長野県、山梨県とともに甲信越と称する場合も多い。
+東山地方[77]
+19.山梨県 - 20.長野県
+中央高地[78]ともいう。岐阜県飛騨地域を加える場合もある。
+東海地方
+21.岐阜県 - 22.静岡県 - 23.愛知県
+普通、「東海3県」というと、静岡県ではなく三重県を含めることが多い。
+近畿地方
+24.三重県 - 25.滋賀県 - 26.京都府 - 27.大阪府 - 28.兵庫県 - 29.奈良県 - 30.和歌山県
+中国地方
+31.鳥取県 - 32.島根県 - 33.岡山県 - 34.広島県 - 35.山口県
+鳥取、島根、山口の一部で山陰と言い、岡山、広島、山口のほぼ全域で山陽という。
+四国地方
+36.徳島県 - 37.香川県 - 38.愛媛県 - 39.高知県
+四国山地より北を北四国、南を南四国とする。また、中国地方と併せて中国・四国地方とする場合もある。その場合、山陽と北四国とを併せて瀬戸内と言う。
+九州地方
+40.福岡県 - 41.佐賀県 - 42.長崎県 - 43.熊本県 - 44.大分県 - 45.宮崎県 - 46.鹿児島県
+沖縄県と併せて九州・沖縄地方とする場合もある。
+奄美諸島は、歴史・文化・自然等の面において九州よりも沖縄に近い[79][80][81]ため、奄美諸島を沖縄県と併せて沖縄・奄美地方とする場合もある。
+沖縄地方
+47.沖縄県
+沖縄県は九州地方に含む場合もある。九州地方に含める場合は九州・沖縄地方と呼称することもある。
+沖縄県は奄美諸島と文化的に自然的に近い[82][83]ため、奄美諸島と併せて沖縄・奄美地方とする場合もある。
+都市 [編集]
+詳細は「日本の市の人口順位」、「都市圏 (総務省)」、および「都市雇用圏」を参照
+順位
+都道府県
+市(区)
+法定人口
+推計人口
+増減率(%)
+種別
+推計人口の
+統計年月日
+東京都 特別区部 8,949,447 8,980,768 +0.35 特別区部 2012年4月1日
+1 神奈川県 横浜市 3,689,603 3,696,419 +0.18 政令指定都市 2012年5月1日
+2 大阪府 大阪市 2,666,371 2,670,992 +0.17 政令指定都市 2012年2月1日
+3 愛知県 名古屋市 2,263,907 2,266,121 +0.10 政令指定都市 2012年2月1日
+4 北海道 札幌市 1,914,434 1,906,141 -0.43 政令指定都市 2011年12月31日
+5 兵庫県 神戸市 1,544,873 1,541,596 -0.21 政令指定都市 2012年4月1日
+6 京都府 京都市 1,474,473 1,470,587 -0.26 政令指定都市 2012年4月1日
+7 福岡県 福岡市 1,463,826 1,483,052 +1.31 政令指定都市 2012年4月1日
+8 神奈川県 川崎市 1,425,678 1,436,368 +0.75 政令指定都市 2012年5月1日
+9 埼玉県 さいたま市 1,222,910 1,232,577 +0.79 政令指定都市 2012年4月1日
+10 広島県 広島市 1,174,209 1,175,275 +0.09 政令指定都市 2012年4月1日
+11 宮城県 仙台市 1,045,903 1,049,824 +0.37 政令指定都市 2012年4月1日
+12 福岡県 北九州市 977,288 969,907 -0.76 政令指定都市 2012年4月1日
+13 千葉県 千葉市 962,130 961,813 -0.03 政令指定都市 2012年4月1日
+14 大阪府 堺市 842,134 842,542 +0.05 政令指定都市 2012年2月1日
+15 新潟県 新潟市 812,192 809,384 -0.35 政令指定都市 2012年4月1日
+16 静岡県 浜松市 800,912 797,395 -0.44 政令指定都市 2012年5月1日
+17 熊本県 熊本市 734,294 734,361 +0.01 政令指定都市 2012年4月1日
+18 神奈川県 相模原市 717,561 719,611 +0.29 政令指定都市 2012年5月1日
+19 静岡県 静岡市 716,328 713,009 -0.46 政令指定都市 2012年5月1日
+20 岡山県 岡山市 709,584 711,164 +0.22 政令指定都市 2012年4月1日
+[表示]
+表・話・編・歴
+ 日本の都道府県庁所在地
+[表示]
+表・話・編・歴
+ 日本の政令指定都市
+[表示]
+表・話・編・歴
+ 日本の中核市
+[表示]
+表・話・編・歴
+ 日本の特例市
+国民 [編集]
+
+人口 [編集]
+詳細は「日本の人口統計」および「都道府県の人口一覧」を参照
+127,767,994人(国勢調査 2005年〔平成17年〕10月1日)
+128,056,026人(国勢調査 2010年10月1日、速報値)
+約127,724,000人(総務省統計局「人口推計月報」2007年〔平成19年〕3月1日確定値[84])
+127,433,494人 (CIAワールドファクトブック、2007年7月[85])
+約128,100,000人(2010年〔平成22年〕6月現在)
+127,066,178(総務省による住民基本台帳に基づく人口の調査 2008年7月31日)
+日本国籍を持つ者の割合:98.9%(2010年〔平成22年〕8月現在)
+年齢構成
+日本は1950年以降急速な少子化、高齢化が進行している。そして、1970年に高齢化社会(65歳以上の人口割合が7%から14%)に、1994年に高齢社会(65歳以上の人口割合が14%から21%)になり、2007年には超高齢社会(65歳以上の人口割合が21%以上)となった。
+年齢5歳階級別人口
+2004年10月1日現在推計人口
+総計 [単位 千人]
+年齢 人口
+0 - 4歳 5735
+5 - 9 5938
+10 - 14 6060
+15 - 19 6761
+20 - 24 7725
+25 - 29 8755
+30 - 34 9819
+35 - 39 8662
+40 - 44 7909
+45 - 49 7854
+50 - 54 9300
+55 - 59 9640
+60 - 64 8652
+65 - 69 7343
+70 - 74 6466
+75 - 79 5098
+80歳以上 5969
+年齢5歳階級別人口
+2004年10月1日現在推計人口
+男女別 [単位 千人]
+男 年齢 女
+2943 0 - 4歳 2792
+3040 5 - 9 2898
+3105 10 - 14 2955
+3466 15 - 19 3295
+3955 20 - 24 3770
+4461 25 - 29 4294
+4960 30 - 34 4859
+4359 35 - 39 4303
+3976 40 - 44 3933
+3936 45 - 49 3918
+4633 50 - 54 4667
+4762 55 - 59 4878
+4193 60 - 64 4459
+3484 65 - 69 3859
+2951 70 - 74 3515
+2168 75 - 79 2930
+1902 80歳以上 4067
+
+データ出典:第10表/都道府県, 年齢(5歳階級), 男女別人口−総人口
+(総務省統計局)
+地域別分布
+日本の各地方の人口は次の通りである。2010年10月1日に実施された国勢調査の速報値による[86]。
+南関東地方(埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県):35,623,327人
+関西地方(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県):20,900,288人
+東海・東山地方(山梨県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県、三重県):18,124,940人
+九州・沖縄地方(福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県):14,596,977人
+東北地方(青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県):9,335,088人
+中国地方(鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県):7,561,899人
+北関東地方(茨城県、栃木県、群馬県):6,984,049人
+北海道地方(北海道):5,507,456人
+北陸地方(新潟県、富山県、石川県、福井県):5,444,797人
+四国地方(徳島県、香川県、愛媛県、高知県):3,977,205人
+100万人規模以上の人口を有する大都市が各地方に点在している。国民の多くは、これらの大都市、又は、その周辺部で生活する。国土全体を対象とした人口密度調査においても領域国家として世界有数の高さを示すが、沿岸の平野部に都市部が集中していて、国土の1割に人口の9割が住む。また、日本海側に比べて太平洋側に人口が集中している。中でも特に東京を中心とした南関東の人口は、日本の人口の約4分の1を超え、世界最大の都市圏を構成する。そのため、都心部では土地の値段が高騰化し、ドーナツ化現象などの問題も起きている。しかし近年では、特に首都圏では、東京都心部の土地の値段が下落し都心回帰の現象も見られる。
+2010年10月1日に行われた国勢調査の速報数を集計した結果、人口総数が500万人を超過する上位9都道府県は次の通りである[87]。
+東京都:13,161,751人(6,018人/km2)
+神奈川県:9,049,500人(3,744人/km2)
+大阪府:8,862,896人(4,679人/km2)
+愛知県:7,408,449人(1,434人/km2)
+埼玉県:7,194,957人(1,895人/km2)
+千葉県:6,217,119人(1,206人/km2)
+兵庫県:5,589,177人(666人/km2)
+北海道:5,507,456人(70人/km2)
+福岡県:5,072,804人(1,019人/km2)
+民族・国籍 [編集]
+詳細は「日本人」、「大和民族」、「日本の民族問題」、および「日本の外国人」を参照
+民族構成(日本国)[88]
+日本民族
+ ?
+98.5%
+朝鮮人
+ ?
+0.5%
+中国人
+0.4%
+その他
+ ?
+0.6%
+ヤマト王権の側から書かれた古代史には、九州地方に熊襲、東日本に蝦夷など、文化を異にする部族がいたという記録がある。彼らは、徐々に大和朝廷に臣従しながら大和民族と同化していったとされる。アイヌ語と日本語との比較言語学的な関連が見出せないことから、アイヌと大和民族との関連について様々な議論があるが、遺伝学や考古学的証拠から大和民族との関係を重視する学説が有力になり、大和民族に同化しきらなかった蝦夷が、オホーツク文化などの影響を受けつつ、徐々に中世頃から分化したものと考えられている。
+外国人・帰化人 [編集]
+日本国籍を有さない外国人が200万人程在住し[89]、現在[いつ?]、在住人口の約1.5%が外国人登録者である。中国籍、韓国籍、朝鮮籍、台湾籍、ブラジル国籍、フィリピン国籍の順に多く、韓国・朝鮮籍を除けば増加傾向にある。近年[いつ?]の外国籍の増加の背景には、1990年(平成2年)の入管法改正でブラジルなどに移民した日本人の子孫の日本での就労が自由化された事が大きく、更に結婚の国際化などもある。
+全人口の98.5%が日本民族とされるが、日本政府は日本国籍を有する者を日本民族としてみなしているため、アメリカ合衆国やイギリス、カナダなど諸外国で一般的に調査される、民族・人種調査は国勢調査では行われておらず、〜系日本人という概念は一般的には用いられない。そのため、アイヌ人などの北方民族や帰化人、戦前の亡命ロシア人の子孫や国際結婚による混血者なども98.5%の日本民族という項目に含まれている。これは、実際には日本には多民族的な側面も持っているものの、政府としてはあくまで単一民族国家であるという前提を崩したくないからという側面もある。
+韓国籍、朝鮮籍、及び台湾籍については、戦前の旧・日本領の出身者、および両親のうちいずれか(あるいは両方)がその出身である者の子孫が多く、中国残留孤児や家族の永住帰国もいる。更に、韓国籍、朝鮮籍に関しては、戦後になってから朝鮮戦争や貧困・圧政から逃れて渡来してきた難民[90]が一部含まれている。
+1895年(明治28年)に台湾を、1910年(明治43年)に朝鮮半島を併合後、太平洋戦争敗戦まで日本の一部として、台湾人、朝鮮人にも日本国籍を与えていたため、これらの地域にルーツを持つ人々が多く、順次、経済的に豊かであった本土に移住してきた者も少なくない[91]。明治の日本は西欧人の居住や移動、営業に関しては領事裁判権を認める代わりとして居留地制による制限を設けていたが、朝鮮人や中国人については制限がなく、日本国内の各地での雑居が認められていた。1899年に西欧各国との領事裁判権の撤廃が成り、居留地制度は一律に廃止され(内地雑居)たが、中国(清・中華民国:支那)人を含む外国人労働者には居住・就労の制限が設けられた(勅令第352号[92])。これはおもに華人(支那人)を規制する目的のもので朝鮮人には実質的に適用されなかったとされる[93]。台湾人もまた併合後は帝国臣民であり居住に制限はなかったが、台湾・朝鮮とも戸籍(台湾戸籍、朝鮮戸籍)の離脱は認められず、あくまで内地での寄留であった。台湾人の移住は戦前は少なく[94]、日本在住の台湾人は総じて学歴があり、華人(支那人)や朝鮮人とはことなりオランダや明遺臣、清朝の植民支配の歴史的経験があり、民族的な屈託がなく日本語(や外国語)に通暁しよく働くので厚遇された。華人(支那人)は三刀(料理・理髪師・仕立屋)が、朝鮮人は労働者が中心で、移住規模も多かった[95][96]。
+朝鮮人労働者の日本内地への移動は日韓併合の1910年に2600人であった移動者が1923年には13万人あまりと増加傾向にあり、1919年4月の「朝鮮人の旅行取締に関する件」(警務総覧部第3号)により朝鮮人の日本渡航への直接規制(旅行証明書制度)に転換し、移動制限を口実に実質的な居住規制に方針が転換された[97]。朝鮮半島領域では実施されていなかった参政権も普通選挙法(1925年)施行後の内地では認められており、希望を持ち移動し定住した者も多かったが生活は決して恵まれたものではなかった[98]。大戦中には軍人・軍属、あるいは就業目的として渡海した。また徴用労働者として800名以上が渡海した。
+終戦の後、彼らの多くが祖国へ引き上げたが、各人の判断や事情によって日本に留まった者もいる。また、戦後相当の数の朝鮮人が祖国の混乱(朝鮮戦争)(国連による難民認定がされている)や韓国軍による虐殺(済州島四・三事件、保導連盟事件など)を逃れて日本に渡った。その後、サンフランシスコ平和条約締結によって彼らは日本国籍を喪失し朝鮮籍となったが、そのまま特別永住者として日本に在住し続けた。現在では、日本生まれが多数派であり、帰化して日本国籍を取得する者も多く[89]、在日コリアンは減少を続けている。近年では朝鮮籍から韓国籍に登録を変更する者が多数となっている。
+アイデンティティと国籍の問題は明治の開国以来、日本が否応なく直面することになった人権問題であり、戦前から華僑・印僑の人々や様々な移住者、戦後ながらくは台湾・中国系日本人コミュニティの間で葛藤を生んできた。近年[いつ?]では日系移民2世3世の出稼ぎ労働や、東南アジア・中国からの「研修労働者」、不法入国(滞在)労働者の人権問題などが発生している。
+起源 [編集]
+日本人の起源は、古くから日本列島に居住していた、いわゆる縄文人を基層に、ユーラシア大陸から移住した人々が融合して形成されたものとの説が近年有力だが、詳細については諸説あり、定かでない。自称として「和人」、あるいは近代的な民族意識の下で「大和民族」・「日本民族」とも言う。南西諸島の人々は、縄文時代から弥生時代にかけて九州から南下した人々が中心となっているとされ、言語的にも本土の住民とルーツを同じくしていることは明らかである[要出典]。
+またアイヌ民族は、和人との交流の中で、中世から近世にかけて成立したとされるが、成立の詳細な過程については不明な点が多い(詳細はアイヌを参照)。
+古墳時代、北東北地方を除く本州・四国・北九州の人々は、大和盆地を本拠地とするヤマト王権のもとに連合し、倭人(和人)としての文化を形成する。飛鳥時代の律令国家の確立に伴い、和人の文化的一体性が確立された。その後、朝廷の支配下に入るのが遅れた北東北(蝦夷)・南九州(熊襲)の人々を同化しながら文化圏の拡大を続け、平安時代までに本州・四国・九州の全域が和人の生活範囲となった。江戸時代には、薩摩藩による琉球への侵攻、松前藩のアイヌ支配の確立により、北海道・南西諸島を含む日本列島の全域が和人の勢力圏に置かれた。
+「蝦夷地」と総称された現在の北海道・千島列島・樺太南部に居住したアイヌや、琉球王国を樹立した南西諸島の人々は、弥生時代以降、本土と交流を持ち続けつつも、江戸時代まで政治的には本土の政権の支配下には入らず異なる歴史を歩んだ経緯がある。現在、アイヌ語を第一母語とする人々は極めて少ないが、アイヌ文化振興法が制定されて郷土文化の保存・再興が図られている。なお、アイヌと共に南樺太にいたウィルタやニヴフの多くは、ソビエトの侵攻・占領の後、北海道や本州へ移住した。また、小笠原諸島には、19世紀初頭にハワイからの移民団が史上初めて定住して、欧米系先住民(ヨーロッパ系アメリカ人やハワイ人)による小規模なコロニーが形成されたが、明治維新の後に日本による領有が確定すると順次、彼らも日本国籍を取得して日本人の社会に溶け込んでいった。
+言語 [編集]
+詳細は「日本の言語」、「日本における漢字」、「国語国字問題」、「日本語」、「日本語の表記体系」、および「日本語の方言」を参照
+
+
+日本語の方言区分の一例(琉球語も含む)
+日本には公用語を明示する法令が存在しない[99]が、日本語がほぼ全ての国民の母語であり、慣習に基づく事実上の公用語である。全土で均質化された日本語による義務教育が行われている。識字率は極めて高い。日本に定住する外国人も多くは日本語を理解する。国会では、アイヌ語などの使用も認められているが、憲法や法律は、日本語で記したものが正文である[100]。
+近代以前の日本語は、文語と口語との乖離が大きかった。口語では京都方言(江戸時代中期以前)および江戸方言(江戸時代後期以降)が中央語と意識され広く通用したが、地域や階層による方言差が大きかった。明治維新による近代的な国民国家の創設に伴って言文一致運動が起こり、口語に近い文章語の確立が朝野の双方から推し進められた。東京方言を基盤に整えられた新しい文語や口語(標準語・共通語)は、教育・報道・行政・軍隊などを通じて国民に広く浸透し、国民的一体感の形成に寄与した。共通語の浸透に伴い各地の方言は衰退・変容を余儀なくされた。近年、地域文化・アイデンティティーとして見直す機運が高まり、教育現場においても共存が図られるようになったといわれる[101]。
+日本は漢字文化圏に属し、日本語の表記には漢字とそれから派生した仮名を主に使用する。第二次世界大戦後、GHQの指導などもあって、政府は漢字の全廃を決定し、全廃まで当面使用できる漢字をまとめた「当用漢字表」を告示して漢字の使用を制限した。しかしその後、当用漢字よりも緩やかな「目安」として「常用漢字表」が制定され、漢字全廃の方針は撤回された。そうしたなかで、一部の漢字は正字体(旧字体)から新字体に簡略化された。固有名詞は別扱いであることから、人名・地名などでは旧字体や異体字の使用が続いており、異体字の扱いは現在もしばしば問題となる。仮名の正書法に関しても、終戦後、従来の歴史的仮名遣から現代仮名遣いに変更された。近年、コンピュータの普及などに伴い、漢字の使用に関する制限は緩められる傾向にある。
+日本語以外には、アイヌが用いるアイヌ語や、樺太から移住した少数住民が用いたニヴフ語・ウィルタ語がある。現在ではニヴフ語・ウィルタ語の母語話者によるコミュニティは消滅し、アイヌ語も母語話者が10人以下に限られる危機に瀕する言語であるが、アイヌ語再興の取り組みも活発である。琉球列島の伝統的な言葉は本土方言と違いが大きく、本土方言とともに日本語の二大方言の一つである琉球方言か、日本語とは系統の同じ姉妹語(「琉球語」)か、その位置づけには議論がある。琉球方言(「琉球語」)内部でも地域差が大きく、複数の言語の集合として「琉球語派」や「琉球諸語」と位置づける場合がある[102][103]。
+
+
+ロシア語が併記された道路標識(北海道根室市)
+その他の言語は、日本語に単語として取り入れられた外来語を除き、日本人同士の意思疎通にはほとんど用いられず、高等教育の教授言語としても常用されない。日本人にとって最も身近な外国語は国際語である英語であり、実務上での便益や諸外国人への配慮から、国際取引や学術研究の場で使用が奨励されることがある。義務教育の中学校の必修科目である外国語科では英語を扱うことが圧倒的に多く、それ以降の高等教育機関でも多くの日本人が英語を学ぶ。多くの日本人にとって、日本語から遠い系統の言語であるため習得が難しく、また日常生活や職務上での必要性が低いことなどから、堪能な者は比較的少ない。
+大学で学ぶ第二外国語としては、主にドイツ語・フランス語が選択されてきたが、近年は中国の経済発展に伴って中国語の選択が増えた。朝鮮語(韓国語)は日本人にとって比較的習得が容易な言語であるが、韓国朝鮮系の住民を除いて学習者は多くなかった。近年、韓国の大衆文化が盛んに輸入されていることに伴い、学習者が増加傾向にある。ロシア語の学習者は多くないが、冷戦崩壊後、極東ロシアとの貿易が活発化しているため、北海道や日本海側の都市で外国語表記に取り入れられるなどしている。安全保障上の理由から学ばれている言語は、同盟軍との意思疎通を図るための英語と、仮想敵のロシア語・中国語・朝鮮語が主である(予備自衛官補の語学技能枠で一般公募もされている)。
+外国籍の住民および帰化外国人、日本に定住する外国人が用いる主な言語には、在日韓国・朝鮮人の一部が用いる朝鮮語(在日朝鮮語)、在日中国人・在日台湾人を中心に約60万人が用いる中国語・台湾語、日系ブラジル人を中心に約30万人が用いるポルトガル語、フィリピン人・欧米人を中心に約25万人が用いる英語などがある。
+法・政治 [編集]
+
+
+
+日本国憲法下の統治機構図
+詳細は「日本法」、「日本の刑事司法」、「日本の民事司法」、「日本の政治」、および「日本政治史」を参照
+日本国憲法上、同憲法を最高法規とし、この下に、国会が制定する法律、内閣が制定する政令や各省庁が制定する省令などの命令、地方公共団体が制定する条例など、各種の法令が定められる。憲法上、裁判所は、全ての法令や行政行為などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する違憲立法審査権を有し、最高裁判所を終審裁判所とする。もっとも、いわゆる司法消極主義に基づき、国会や内閣など政治部門の判断への干渉は、控えられることが多い。
+日本国憲法 [編集]
+「ポツダム宣言」も参照
+第二次世界大戦の後、1946年(昭和21年)11月3日公布、1947年(昭和22年)5月3日施行。改正されたことはない。硬性憲法に分類される。
+日本国憲法は、憲法第13条・個人の尊厳(個人の尊重)をその根本に置き、次の三つを三大原理とする。
+自由。基本的権利の平等の両立を目指す、基本的人権の尊重。
+国民主権。主権が国民に由来する。
+平和主義。戦争の放棄、戦力(軍隊)の不保持を定める。
+統治機構は、憲法上、立法権を国会に、司法権を裁判所に、行政権を内閣に、それぞれ分配する三権分立を採る。また、内閣が国会の信任に拠って存在する議院内閣制を採用する。
+長らく、戦争の放棄、戦力の不保持を定めた9条を巡って憲法改正論議が行われている。なお、一部には、現行憲法の制定に法的瑕疵があったとして無効を主張し、今も大日本帝国憲法が有効であるとする者もいる。
+象徴天皇制 [編集]
+
+
+今上天皇と美智子皇后
+詳細は「象徴天皇制」を参照
+天皇は、第二次世界大戦後から現在まで、日本国憲法に「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴」(憲法1条)と位置づけられ、「この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされる(同条)。その地位(皇位)は、世襲によって受け継がれ、国会の議決する皇室典範の定めるところによって継承される(憲法第2条)。憲法の定める国事行為のみを行い、国政に関する権能を有しない(憲法4条1項)。但し、国事行為の他、象徴たる地位に基づく公的行為を行う。 また、日本国政府は「立憲君主制と言っても差し支えないであろう」としているが、日本国憲法には明記されていない[104]。明治期に制定された大日本帝国憲法には、立憲君主制であることが明記されていた。
+国政 [編集]
+
+
+国会は、国権の最高機関にして、国の唯一の立法機関と日本国憲法上定められている(東京都千代田区)
+国会は、衆議院と参議院との二院からなる二院制(両院制)の議会である。「国権の最高機関」であり、「国の唯一の立法機関」とされる(憲法41条)。衆議院・参議院は、いずれも全国民を代表する選挙された国会議員によって組織される。ただし、法律や予算、条約の議決、内閣総理大臣の指名、内閣不信任決議などにおいて、衆議院に参議院よりも強い権限が与えられている(衆議院の優越)。これは、衆議院解散があり、任期も短いため、より民意を反映しているため、と説明される。
+内閣は、首長たる内閣総理大臣と、その他の国務大臣からなる合議制の機関である。内閣総理大臣は、国会議員でなければならない。国会が指名した人物は、天皇により儀礼的・形式的に任命され、内閣総理大臣に就任する。国務大臣は、内閣総理大臣が任命し、天皇が認証する。国務大臣の過半数は、国会議員の中から選ばれなければならない。内閣総理大臣、その他の国務大臣は、文民でなければならない。内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負う一方、衆議院の実質的な解散権を持つとする見解が多数説となっている(日本国憲法7条3項及び69条を参照のこと)。
+国会では、国会議員のみが法案提出権を持つ。国会で審議される法案の大多数は、内閣が提出する政府提出法案(閣法)であり、国会議員が発議する法案(議員立法)が少ない。政府提出法案は、内閣の下に置かれる省庁が国会の多数を占める与党との調整を経て作成するため、省庁の幹部公務員(キャリア官僚)の国政に対する影響力が強い。なお、政治家になる家系が代々しっかりとした地盤を持って選挙活動を行うため、いわゆる世襲政治家が多い。
+55年体制とその後
+国会では、1955年(昭和30年)に結党された自由民主党(自民党)が、一貫して最多の議席を占めていた。同年に結党された日本社会党(社会党)と共に、「55年体制」と呼ばれる政治体制を形作った。この体制は、自民党が与党として党の総裁を国会で内閣総理大臣に指名し、同党議員の中から国務大臣を任命して内閣を組み、社会党が野党として自民党と対立・協調しながら、国政を運営するものである。新自由クラブと連立政権を組んだ1983年(昭和58年)から1986年(昭和61年)までの一時期を除き、1993年(平成5年)までの約40年間、自民党の単独政権が続いた。
+1993年(平成5年)に自民党羽田派が離党して新生党を結党し、非自民・非共産連立政権である細川内閣が成立したことで自民党が政権を離れ、55年体制が崩壊した。翌1994年(平成6年)6月に自民党・社会党・新党さきがけの自社さ連立政権である村山内閣が成立して自民党が政権に復帰。次の橋本内閣以後、小渕内閣で自由党との連立(自自連立)を経て公明党を加えた連立(自自公連立)、森内閣・小泉内閣で自由党が抜けて自由党の一部からなる保守党が残った連立(自公保連立)、保守新党の解党(自公連立政権)など、常に連立政権を組むことで自民党総裁が内閣総理大臣となったが、2009年(平成21年)8月の衆議院議員総選挙で大敗、衆議院第1党から転落し、翌9月に民主党代表・鳩山由紀夫を内閣総理大臣とする民主党・社会民主党・国民新党からなる民社国連立政権、鳩山由紀夫内閣が成立した。
+地方政治 [編集]
+地方自治は、基礎的な団体である市町村、広域的な団体である都道府県の二段階から成る、地方公共団体が担う。
+市区町村
+市が787、町が748、村が184、合計1719[105]。他に、東京都に23の特別区(2012年(平成24年)1月4日現在)。
+執行機関たる市町村長、議決機関たる市町村議会[106]が置かれ、いずれも住民から選挙される。
+財産を管理し、地域の事務を取り扱い、行政を執行する。法律の範囲内で条例を定める。特に規模が大きい市は、政令指定都市として、一部の権限が都道府県から委譲される。
+都道府県
+都が1、道が1、府が2、県が43、合計47。
+執行機関たる都道府県知事、議決機関たる都道府県議会が置かれ、いずれも住民から選挙される。
+市町村を包括し、より広域的な行政を行う。法律の範囲内で条例を定める。
+現在、東京一極集中を緩和して地方分権を進めるため、都道府県を解消して更に広域的な道州を置く道州制の導入が検討されている(日本の道州制論議)。また、大阪都や中京都のように特別区をつくる運動もある。
+法制 [編集]
+日本国憲法、民法、商法、刑法、民事訴訟法、刑事訴訟法を総称して六法と称する。この六法が日本の法令の基本を成し、日本の法学の基本的な研究分野と考えられてきたことによる。商法のうち、企業に関する定めの多くは、会社法に分けられた。刑法には、死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留、科料、没収が刑罰として定められている。死刑制度のあり方を巡っては、憲法の制定の当時から議論がある[107][108][109][110][111][112][113][111]。
+報道の自由 [編集]
+戦後、憲法によって表現の自由・報道の自由が保障され、建前上、報道に関する政府からの介入は存在しないことになっている。
+実際は、テレビ放送について政府が発行する免許が必要である。NHKの予算は、国会の承認が必要である。新聞については、再販制度の存廃など、様々な形で事実上の介入が行われている。一方、テレビ・新聞の側においても、記者クラブ制度によって一部の大手マスメディアのみが政府からの情報を受けるメリットを享受している。また、収入源の広告料収入を大企業に頼る大手マスメディアは、かような大企業を批判することに慎重であり、また中国をはじめ大企業が依存する国家に対しても慎重な態度を取る。一方、無用な反発や軋轢を避けるため、「放送禁止用語」や「出版禁止用語」を定めて差別的な表現や下品な表現を「自粛」・「自主規制」することが行われている。また、現在進行中の誘拐事件など人命に関わる場合などにも「自主規制」の対象になる。
+なお、近年に発生した報道機関を狙ったテロとしては、未だ解決に至っていない赤報隊事件がある。国境なき記者団が作成する報道の自由度を示すランキングでは、11位(2010年〔平成22年〕)である。デンマーク、リトアニアと同位。上位にはフィンランド、アイスランド、オランダ、ノルウェー、スウェーデン、スイスなどの国がいる。国境なき記者団は日本における課題として、記者クラブ制度により外国人ジャーナリストやフリージャーナリストによる情報のアクセスが妨げられていることを挙げている。また2007年度の調査では「過激なナショナリストによる報道機関への襲撃の減少が見られる」と述べていた[114][115]。
+外交・国際関係 [編集]
+
+詳細は「日本の国際関係」および「:Category:日本の国際関係史」を参照
+同盟国との関係を重視し、世界中の国と友好関係を築いているといわれている。外交の基軸として国際連合を中心に各国と幅広い外交を行い、援助や貿易を行っている。伝統的に地理的に近い東アジア各国と強い関係を保ってきた。更に、太平洋戦争敗戦後に日本の占領を担い、解除後も多大な影響力が行使されるアメリカ合衆国(日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)を最重視している。東南アジアやオーストラリア、西ヨーロッパ各国との関係も深い。
+
+国際連合 [編集]
+ 国際連合 : 日本はかつて国際連盟を脱退し、連合国(国際連合)(United Nations)を相手に第二次世界大戦を戦い敗れたという経緯がある。国際連合は戦後も継続し、日本は敵国条項によって現在も敵国の位置づけである。1956年(昭和31年)にソ連との国交を回復し、加盟を果たした。これまでに非常任理事国として最多選出されている。また、敵国の位置づけにありながら世界第2位の国連分担金を担うという矛盾した状態になっている。国連改革の一環としてドイツ、インド、ブラジルなどと常任理事国の拡大を訴えている。日本人職員の数は、少ない。日本の知識層の多くは、多大な貢献に比べ、恩恵や評価を受ける以前に敵国条項すら削除されないと指摘している。
+長く、国連の武力行使を支持しても、経済援助のみに関与する、という慎重姿勢を取り、湾岸戦争でも巨額の戦費負担をしたが、戦力を出さなかった。しかし、近年、PKO協力法などの成立に始まり、課題を残しつつも法的根拠が整った。イラク戦争終結後、自衛隊を派遣して復興支援活動に携わるなどの機会も増えている。
+
+アジア・オセアニア [編集]
+東アジアでは、古来、地理的に近い中国や朝鮮などを中心に外交が行われていた。日本は儒教・漢字文化圏の一角であり、伝統的な文化の中には、雅楽、水墨画、陶磁器、禅宗、書道など、東アジアをルーツに持つ物が多い。明治以降、西洋文化を取り入れて発展した日本の文化が逆に東アジアに伝播した。欧米を始めとする世界中との外交が盛んになるのは、明治維新以降である。かつて日本領であった台湾や韓国は、現在でも重要な貿易相手である。一方、北朝鮮に対しては、日本は国家承認しておらず、国交もなく、経済制裁を行っている。日本、韓国、台湾は、それぞれアメリカ軍と同盟関係にあり、相互に緩やかな協力関係にある。一方、北朝鮮と中国とは同盟関係にあり、中国とロシアも協力関係にある。
+東南アジア諸国とは、基本的に友好関係を構築しており、タイ、フィリピン、マレーシアなど経済的にも文化的にも関係が深く、互いの国民に対する感情も良いとされる。また、日本は、これら各国との自由貿易協定(FTA)の締結を模索している。自衛隊のPKOとしての派遣も、初の派遣がカンボジアへ、また東ティモールへも派遣された。東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との間で定期的に首脳会談を行い、関係を重視している。また、この海域(特にマラッカ海峡)は、中東から輸入した原油の9割近くが通過するなど非常に重要なルートであるが、海賊が頻繁に出没する。その対策として、海上保安庁が各国の沿岸警備隊に対して指導・共同訓練を行っている。以下のように、各国との関係は基本的に良好な状態にある。
+オセアニアの中でも南洋諸島の各国は、かつて日本が委任統治領ないし占領地として統治下に置いていたこともあり、関係が比較的深い。ミクロネシア連邦では、日系人のトシオ・ナカヤマやマニー・モリが大統領に選ばれている。パラオは、かつて日系のクニオ・ナカムラが大統領に就任し、一部の自治体で日本語が公用語として採用されている(実際に日本語を日常的に使用している訳でなく、象徴的な意味合いが強い)などの経緯もあり、官民とも非常に親日的である。
+ 中華人民共和国 : 日本は1972年日中共同声明及び1978年日中平和友好条約締結にともない、中華人民共和国との国交を正常化した。改革開放政策の後、経済的な成長を遂げて多くの日系企業が生産拠点を持ち、また、2006年(平成18年)より貿易総額でアメリカを上回って最大の貿易相手国となった[116]。靖国神社問題に関連して関係が悪化した。日本では、2005年の中国における反日活動なども盛んに報道され、また、2008年(平成20年)6月、アメリカの民間調査機関ピュー・リサーチ・センターの調査では、中国を好ましくないと答えた割合が84%(前年比17%増)となり、調査した24カ国の中で最も高かった。また、日本人の中国への旅行者も減少した。一方、中国では、前年比から9%減少したが、それでも69%が日本を好ましく思っていないという調査結果となり、依然として両国民が相互に反発していることが明らかとなった。中国の報道は中国共産党の統制下にあり、一般国民に日本からのODAや謝罪などが周知されているとは言いがたいが、四川大地震に際しての国際緊急援助隊の救援活動など、中国人からの感謝の意が表れる出来事もある。2010年(平成22年)以降、経済規模で日本を抜いて成長し、無視できない存在となっている。
+「日中関係史」も参照
+ 北朝鮮 : 現在、国交が無い。北朝鮮は、韓国併合に対する評価や賠償問題・請求権問題、いずれについても決着していないとする立場である。日本政府は、日韓基本条約に基づいて韓国政府のみが朝鮮半島の正統な政府であるとの立場である。また、賠償問題も韓国との条約によって解決済みとの立場である。2002年(平成14年)の日朝首脳会談では、賠償権を相互に放棄し、日本が北朝鮮へ経済協力を行う方法で合意したと発表されたが、その後、国交正常化交渉の停滞を招いている。背景には、北朝鮮による日本人拉致問題や不審船事件などに対する日本の世論の反発や北朝鮮核問題などで孤立を深める北朝鮮の現状がある。日本は、現在これらを受けて経済制裁を北朝鮮に行っている。北朝鮮は、核カードを使ってアメリカからテロ支援国家指定の解除を引き出した。2012年4月北朝鮮は自国憲法に核保有国と明記した[117]。
+「日朝関係史」も参照
+ 大韓民国 :建国当初より反日感情が強く、朝鮮戦争中には韓国を支援するために掃海部隊や港湾労働者を韓国に派遣するとともに日本国内での韓国軍の軍事訓練を受け入れるなどしたが、1952年には韓国が一方的に李承晩ラインを宣言し竹島を占拠したことによって多くの日本人漁師が殺害・拿捕され、竹島問題が発生した。また、日本に潜入した工作員によって新潟日赤センター爆破未遂事件や金大中拉致事件などの事件が起こされている。李承晩独裁政権を打倒した朴正煕は国民の反発を押しきって日韓条約を結び、日本との国交を樹立、日本から得た賠償金を経済成長の原資としたが、これを国民に隠していたために後に植民地支配の賠償をめぐる紛争が起きる原因となった。韓国では近年まで日本の大衆文化禁止政策が続けられていたが、金大中政権で日本の大衆文化の自由化が進められ、日本への親近感を持つ人々の増加も見られた。盧武鉉政権では当初は日本との融和姿勢を見せたものの、間もなく強硬な外交方針に転じ、日本との領土問題や歴史問題にも強い姿勢で臨んだ。李明博政権では、前政権で悪化した近隣諸国との関係を修復し、日本にも比較的穏健な姿勢で臨む方針を当初は見せたが、知的財産や漁業権の侵害や竹島問題など根本的な改善の兆しは見えていない。 他方、K-POPや韓国ドラマなど韓国の大衆文化が日本で流行する韓流現象がある。これに伴い韓国での日本大衆文化の流入制限も徐々に制限を緩和しつつある[118][119]。
+「日韓関係史」も参照
+ 中華民国 : 台湾は、日清戦争で日本に割譲されて以来50年間の日本統治時代を経験している。第二次世界大戦後は国共内戦で共産党軍に敗北した中国国民党が1990年代まで独裁を敷いてきた。かつて日本は中華民国を中国の代表政権と見なしていたが、1970年代の日中国交正常化の際、日本は中華人民共和国を正当な国家として認定し、かつ中華人民共和国に配慮し台湾を独立した国家とはみないことを約束した。日本政府は現在までこの中華人民共和国優先政策を対中台外交の基本姿勢としている。2011年現在も台湾を国家として承認しておらず、双方ともに大使館を配置しない代わりに民間の利益代表部を置く。1996年に国民党一党独裁が解消され、その後は国民党と民主進歩党との二大政党である。日本統治時代を経験した多数派の本省人が親日的傾向が強いのに対し、政治的実権を握っていた少数派の外省人は、反日姿勢が強いと言われていたが、1990年代には本省人である李登輝が総統となるなど融和が進んだ。安全保障において台湾は、台湾関係法などを背景にアメリカ軍と密接な関係にあり、日米同盟を持つ日本とも間接的な協力関係にある。1970年代以降、日台間でも尖閣諸島の領有問題があり係争も起きたが、深刻な対立に至っていない。人的・経済的な交流は、一貫して盛んで、特に近年は李登輝政権以降の台湾本土化運動の結果として国民の親日姿勢が強まる傾向にある。2011年の東日本大震災では台湾から世界最多となる200億円超の義援金が日本に送られた。海外で初めて日本の新幹線システムの一部を採用した。
+「日台関係史」も参照
+ タイ : タイ王室と皇室との関係も良好で、日本とタイの貿易結合度は第一位となっており、世界とタイとの平均的な結合度の4倍となっている[120]。
+「日泰関係史」も参照
+ フィリピン : フィリピンの主要貿易相手国はアメリカと日本であるが、近年は中国や韓国との貿易も増えている。在日フィリピン人は、在日外国人として国籍別で第4位の人口を有する。
+ ベトナム : ベトナムは、ベトナム戦争において日本と同盟関係にあるアメリカ合衆国と交戦した共産党独裁政権であるが、ベトナム戦争終結前の1973年には日本との国交を樹立し、日本はベトナムに多額の開発援助を続けてきた。近年も日本の常任理事国入りをどのような圧力を受けたとしても支持すると表明するなど日本に協力的である[121]。
+ シンガポール : 日本・シンガポール新時代経済連携協定を結び、日本にとって初の自由貿易協定締結国である。
+ カンボジア : 日本からは経済面での支援や地雷撤去の活動なども精力的に行われている。また、文化面でもクメール・ルージュによって破壊・弾圧された仏教の施設や信仰の復興に、日本の仏教界が大きく貢献している。カンボジアは日本の常任理事国入りについて不変の支持を行っている[121]。
+ インドネシア : 独立の際に一部の日本人が関与したこともあり、親日派もいた一方、1960年代の政局の混乱のなか共産党勢力の台頭に伴い中国等へ接近した。2001年のアメリカ同時多発テロによって米国との関係が悪化し、2005年まで武器禁輸などの制裁を受けた。そのためロシアや中国との関係強化をすすめ、多極外交を展開している。日本との関係は良好で、LNG貿易をはじめ日系企業も多数進出し、また日本の政府開発援助(ODA)はハードインフラ整備に加え、市民警察活動促進計画[122]など統治能力支援(ガバナンス支援)や法整備支援[123]などソフトインフラ整備の支援も近年行っている。スマトラ島沖地震では、金額で国別3位の支援を早急に決めて拠出し、更にアチェ州へ海上自衛隊の艦艇を派遣した。防災システムの構築にも支援を行っている。
+ アメリカ合衆国 : 軍事・経済・政治すべてにおいて緊密かつ重要な関係を築いている。黒船来航から始まる経済関係は、アメリカ合衆国の経済力を背景に大きなものであり続け、2006年(平成18年)まで最大の貿易相手国だった。太平洋戦争(第二次世界大戦)では、東アジア・西太平洋地域で4年間戦った末に降伏し、アメリカ合衆国を中心とする連合国軍に占領された。7年の占領時代を経て主権を回復したあとも、日米安保条約に基づき基地用地および予算を提供し、日本は冷戦終結後の現在もアメリカ合衆国の軍事的影響下にあるが、これについて沖縄などで米軍の事故犯罪が頻発するため縮小運動が起きることがあり、しばしば政治的な課題として浮上する。日本国内では日米安保条約が日本の安全保障や外交の自主性を損なっていると批判されることもあるが、日本政府は中華人民共和国の軍事力に対する警戒感から同盟の強化をはかる考えであるが、冷戦終結時期前後より、ジャパンバッシングや対日要望書、慰安婦問題謝罪を要求するアメリカ合衆国下院121号決議など日本への圧力が強まっている。アメリカ合衆国の意向は、日本の経済政策や規制改革などの内政にも「外圧」として大きな影響力をもつ。また、犯罪人引渡し条約を結ぶ数少ない国の一つである。
+「日米関係史」も参照
+ オーストラリア : オセアニアで最大の影響力を持つオーストラリアと非常に緊密な関係を築いている。日米豪の防衛首脳会談が行われたこともあり、経済、軍事、外交などで共同歩調を取る。2007年(平成19年)3月には、自衛隊とオーストラリア軍とが国際連合平和維持活動(PKO活動)の共同訓練、反テロ活動、津波など地域災害に協力して当たることなどが盛り込まれた安全保障協力に関する日豪共同宣言に調印した。これにより、日本にとって安保分野で正式な協力関係を結ぶ(アメリカに続く)2番目の国となる。
+「日豪関係」も参照
+ ロシア : 日露関係は断続的に関係が深まる時期をはさみつつも、対立の時期が長い。これはロシアが伝統的に南下政策を取り、太平洋への出口を求めたため、通り道の日本との間に地政学的な対立構造があるからである。満州・朝鮮半島の支配権をめぐって1904年(明治37年)に始まった日露戦争や、1917年(大正6年)に起こったロシア革命に日本などの諸国が干渉して起こしたシベリア出兵、終戦直前にソ連軍が日ソ中立条約を一方的に破棄して日本支配地域に侵攻したソ連対日参戦などが起こってきた。日本のポツダム宣言受諾による終戦後も南樺太と千島列島への侵攻を続け併合し、日本人を捕虜として連行してシベリア抑留するなどの行為が日本の人々の反感を生み、1956年(昭和31年)の日ソ共同宣言で一応国交が回復した後も、冷戦の中で緊張関係が続いてきた。1986年(昭和61年)以降に関係の改善が進み、現在の両国の間では、経済的な交流も盛んだが、領土問題やそれに起因する漁民銃撃・拿捕事件、資源問題(サハリン2を参照)なども生じており、その関係は円滑ではない。
+「日露関係史」も参照
+ユーラシア [編集]
+南アジア各国とは友好関係を保っている。日本は被爆国であるため、核実験を行ったインドやパキスタンと距離を置いていた時期もあったが、近年、両国との関係が重視されるようになり、2006年(平成18年)に外務省アジア大洋州局に南部アジア部を新設した。
+中央アジア諸国は、かつてシルクロード経由で日本へも文化的な影響を及ぼしていたが、現在の人的な関係は乏しい。また、経済基盤の貧弱な国が多く、更に海に面していないために輸送コストなども掛かるなどの理由から、一部の希少な地下資源を除き、貿易などの経済的な関係も他地域と比べて活発と言えない状況にある。ただ、この地域に栄えた古代王朝や仏教遺跡の研究などの学術関係での交流は活発である。
+西アジアは主要な原油供給元であり、経済的に密接な関係を保っている。しかし文化的交流は比較的乏しい。但し、宗教的な対立要因が無いため、住民の対日感情は比較的良好とされる。
+第二次世界大戦以降、西ヨーロッパを中心とする北大西洋条約機構諸国と間接的な同盟関係にある。また、皇室は、イギリスやオランダ、スウェーデン、ベルギーなどのヨーロッパ各国の王室と深い友好関係を築いている。一方、特にオランダなどには、第二次大戦で交戦したことによる悪感情が一部に残っているとも言われる[124]。
+ インド : 今後関係が特に親密になると期待されている国のひとつで、近年の著しい経済発展や、情報技術での実績が注目されている。日本とインドはG4として共に行動する立場であり、2008年(平成20年)10月には、両国首脳が日印安全保障協力共同宣言(日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言)に署名し、日本にとって、アメリカ、オーストラリアに次いで、安全保障分野で正式な協力関係を結んだ3番目の国となった[125]。さらに2010年、日本とインドは関税を段階的に撤廃するFTA(自由貿易協定)を柱としたEPA(経済連携 協定)を締結することで大筋合意した。これが達成されれば、日本からインドへの輸出の約90%、インドから日本への輸出では約97%に相当する物品で、10年以内に関税がゼロになる。
+ パキスタン : 1998年(平成10年)の地下核実験から2005年(平成17年)4月まで援助を停止していた。しかし、自衛隊イラク派遣などで、安全保障の観点から中東への影響力が強いパキスタンの協力が必要と感じた日本政府は、当時の小泉純一郎首相が訪問したのを機に有償資金援助を再開した。
+ バングラデシュ : 世界最貧国の一つとも言われ、日本は、経済、保健、自然災害対策など多くの面で援助を行っている。
+ アフガニスタン : 日本は、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群の修復などに多額の援助を行っている。アメリカ合衆国が行った武力攻撃を支持したが、部隊の派遣は、自衛隊インド洋派遣に留めている。
+ イラク : イラク戦争の後、自衛隊イラク派遣を行った。
+ イスラエル : 日本は、中東和平やパレスチナ問題に関して中立の立場であり、政府高官が訪問する際には、イスラエル・パレスチナ自治政府の双方と会談が設定される等、バランスが図られている。
+ フランス : 日仏関係は、政治・経済面よりも文化面での交流が深い点に特徴がある。フランス文化は、美術、音楽、食文化、文芸などの面で日本の近代化に大きな影響を与えた。
+ ドイツ : 日独関係は、日本が近代化を進めるにあたって、イギリスおよびアメリカ合衆国との関係に次いで重要な役割を果たした。科学技術・音楽・法律・文芸などにおけるドイツの影響は、現在の日本にも色濃く残っている。第一次世界大戦で日本とドイツは交戦国となり、勝利した日本はアジア太平洋におけるドイツの利権を獲得する。第二次世界大戦で日本とドイツは対ソ連を意識して日独伊三国軍事同盟を結んだが、同盟はついに実効的なものとはなり得ず、両国は互いに不本意ながら米英を敵に回し敗北するという結末となった。戦後は、共に焼け野原から奇跡の復興を果たした経済大国として平和的な関係となり、重要なパートナーとしてイギリスやフランスを凌ぐヨーロッパ最大の貿易相手国となった。さらに、政治の面でも共に常任理事国を目指すG4のパートナーとして行動する。
+ イギリス: 日英関係は、江戸時代前期の三浦按針に始まり、途中日本の鎖国や第二次世界大戦による中断をはさみながら長く続いている。特に強調されるのは19世紀後半から20世紀初頭の日本の近代化に果たしたイギリスの役割であり、イギリスは経済・文化・学術・政治・軍事のあらゆる面において日本に最も強い影響力があった。1902年、両国はロシアへの対抗として日英同盟を結び、日露戦争や第一次世界大戦、シベリア出兵において相互に支援を行った。しかし、日中戦争と日独伊三国同盟によって両国は敵対することとなり、第二次世界大戦において交戦国となった。終戦後、イギリスは連合国の日本占領に参加した。占領終了後は、両国はアメリカ合衆国を介した間接的な同盟関係となり、経済・文化面でも深い関係を築いている。
+中央・南アメリカ [編集]
+中央アメリカ(中米)諸国とは、人的・文化的な交流に乏しいものの、経済的な関係を中心に平穏な関係を保つ。また、キューバなどの社会主義国とも経済・文化の両面で友好的な関係が築かれ、ペルー日本大使公邸占拠事件でも日本の要請を受けたキューバがゲリラの亡命受け入れを受諾するなど協力した。
+南アメリカ(南米)は、地理的に地球の真裏に位置するが、下記のように19世紀の後半からペルーやアルゼンチンと深い友好関係を有する。また、かつて日本からの移民を大量に受け入れた経緯もある。貿易関係では、チリとの関係が特に大きく、戦前からの友好関係が続くアルゼンチンやパラグアイといった親日的な国も多い。
+ メキシコ : 中米諸国の中で最も関係が深い。明治の開国以降に結ばれた日墨修好通商条約は、それまで列強各国の不平等条約に苦しめられてきた日本にとって、初めての平等条約である。その関係で、数ある諸外国の大使館の中でも国政の中枢地区ともいえる永田町に在るのは、メキシコ大使館のみである。多数の日本企業が進出するなど経済的な関係も深い。
+ ペルー : 1872年(明治5年)にマリア・ルス号事件をキッカケに修交が始まった。多くの移民が渡り、ラテンアメリカで二番目に日系人口が多く、1990年代に日系人であるアルベルト・フジモリ(スペイン語で「フヒモリ」)が大統領に就任して急速に関係が緊密化したが、失脚の後、日本に亡命した。
+ アルゼンチン : 1898年(明治31年)、ロシアとの戦争に備えて軍艦リバダビア、モレノをそれぞれ春日、日進として購入し、それらが日露戦争で活躍したことなどから本格的な関係が始まった。また、マルビーナス戦争(フォークランド紛争)の最中、アメリカやイギリスなどからの再三の要請にもかかわらず、アルゼンチンへの禁輸措置を行わないなどの日本の独自外交は、アルゼンチンの知日家から高く評価される。
+ ブラジル : 約180万人という海外で最大規模の日系人社会が築かれていることもあり、政治・経済のみならず、文化的な面からも非常に深い関係を保つ。特に、Jリーグが始まって以降、ブラジル人選手が最多数の外国人選手であり続けている。また、G4として共に常任理事国を目指していることもあり、国際政治上で連携することも多い。
+アフリカ [編集]
+アフリカ諸国は、日本とは歴史的に関係が薄く、観光地としてもエジプトなどの一部を除いて大きな人気があるわけでもない。主に日本からアフリカ諸国への開発援助と、アフリカ諸国からの地下資源や農水産物の輸入と日本からの工業製品の輸出という貿易関係に終始している。
+1993年(平成5年)から、ODAなどの経済支援を含む経済的・人的な交流を深める目的で、日本、国際連合、アフリカのためのグローバル連合、世界銀行が共催し、アフリカ開発会議(TICAD:Tokyo International Conference on African Development)を開始した。
+近年、アフリカ諸国に大使館を増やすなど関係強化に乗り出している。その背景として、中国が現地に在住の華僑などを活用してアフリカ諸国との関係強化を行っている情況がある。これは、資源確保や国連での票固めなどが目的であると指摘されている。
+サッカーなどスポーツの分野においては、アフリカ諸国を日本に招いた試合が行われており、良好な関係を築いている。
+ 南アフリカ共和国 : アパルトヘイトで世界から孤立していた時代にも、多くの日本企業が進出して比較的密接な関係を築いていた。このため、国際社会から厳しい非難を浴びていた時期に、日本人は同国から「名誉白人」(国連から非難決議を受けた)の扱いを受けていた。
+
+領土問題等 [編集]
+以下の領有を巡る領土問題等を抱える。
+北方地域
+
+
+A.歯舞群島、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島
+詳細は「北方領土問題」を参照
+第二次世界大戦の終結が決定的となる日本によるポツダム宣言の受諾(1945年(昭和20年)8月14日)後、1945年(昭和20年)8月28日から9月5日にかけ、大戦前から日本が領有していた千島列島(ロシア名:クリル諸島)にソ連軍が侵攻し占領した。以後、ソ連を承継したロシア連邦が現在に至るまで実効支配している。
+ロシア(ソ連)は、戦争で獲得した領土と主張する。一方、日本は、北方地域(歯舞群島・色丹島・国後島・択捉島)をその固有の領土として返還を求めている。ロシアは、歯舞群島・色丹島について日ソ共同宣言を根拠に日本への将来の返還を示唆している。日本は、択捉島・国後島を含む4島の一括返還を求め、これを拒否する。また、日本は、択捉島と得撫島との間での国境の確定にロシアが同意すれば、引き続きロシアによる統治を認める旨を提示したが、ロシアが拒否した。2007年(平成19年)にロシアが「面積二分割」案を提示した。現在、解決の目処が立っていない。日本共産党は、千島列島の全域を日本の領土と主張する(ソ連による千島の占領がカイロ宣言等で示された連合国の「領土不拡大」原則に反し、違法であるとの理由から)。一部では、南樺太ないし樺太(全域)(サハリン)の返還も主張される。日本側は南樺太と千島全島はロシアとの間に領有権未定だと主張している。
+日中間の排他的経済水域
+
+
+1.平湖ガス田
+2.断橋ガス田
+3.天外天ガス田
+4.春暁ガス田
+5.日本が主張するEEZ境界線
+6.中国が主張するEEZ境界線
+詳細は「東シナ海ガス田問題」を参照
+中華人民共和国(中国)との間における、東シナ海で両国が主張する排他的経済水域の範囲の違いに起因する。日本は、両国の国境の中間線を境界線として主張し、中国は、ユーラシア大陸の大陸棚部分を自国の領域と主張する。国際的には、日本の主張が優勢であるが、中国と同様の主張をする国も存在し、現在、平行線を辿る。
+近年、この問題が重要化したのは、この海域の地下に豊富な天然ガスの存在が明らかになったためである。中国は、天然ガスを採掘するプラント(春暁ガス田)を日本が主張する境界の近辺(中国側)に建設するなど強硬な姿勢を取る。これに対して日本は、日本側の資源も採掘される可能性があるとして抗議し、また、この海域での試掘権を設定し、日本の企業が取得した。日本が国際司法裁判所に判断を委ねようとする立場なのに対し、これに同意しない中国は、両国での共同開発を提示するが、日本は、これを中国に有利な条件と認識するなど、依然、解決の糸口が見えない。
+尖閣諸島(中国名:釣魚台列島など)
+詳細は「尖閣諸島問題」を参照
+現在、日本が実効支配するが、その他に中華人民共和国(中国)および中華民国(台湾)が領有を主張する。上の経済水域の問題や中台間の問題も絡み、複雑化の様相を呈する。1970年代の初頭に東シナ海で天然ガスが発見されて以降、表面化した。中台に対抗し、度々、日本の右翼団体が上陸して灯台を建設(現在、日本政府が管理)するなどした。2005年(平成17年)、台湾の漁民が海上保安庁による取締に対して海上で抗議デモを行った。
+竹島(韓国・朝鮮名:独島)
+
+
+竹島(韓国名:独島)の位置
+詳細は「竹島 (島根県)」を参照
+日本の島根県・隠岐島から北西約157km、大韓民国の慶尚北道・鬱陵島から約92kmに位置する、2つの岩礁からなる小島である。日韓が領有を主張(韓国を朝鮮民主主義人民共和国も支持)して対立する。
+韓国併合以前、大日本帝国と大韓帝国と、どちらの領土だったかを巡る議論に帰する。日本の国内法上、1905年(明治38年)の閣議決定・島根県告示によって編入された。これについて韓国は、「秘密裏に、また強制的に行われたものであり、法的根拠は持たず無効である。」と主張するが、日本は、「国際法に則った適法な手続きがなされたものであり、また新聞などでも報道されており秘密裏に行われたとの指摘は当たらない」と主張する。韓国は、独立から間もなく李承晩ラインを一方的に設定し、その内に入った日本の漁船・漁民を拿捕して釜山収容所に抑留したのみならず、第一大邦丸事件など漁船を相次いで銃撃し、多数の死傷者を出した。その後の日韓国交正常化交渉で李承晩ラインの不当性や竹島の領有を日本が強く主張し、1965年(昭和40年)に李承晩ラインが廃止された[126]。
+1954年(昭和29年)7月に韓国海軍が占拠し、現在、独島警備隊が引き継いで駐屯する。これに対して日本は、韓国による不法占拠として抗議し続け、また、国際司法裁判所への付託を提案したが、韓国は、これに同意しない。
+韓国民にとって独立の象徴と考えられていること、周辺の海域が豊かな漁場であること、また、莫大なメタンハイドレートや海底油田の埋蔵が推測されること、などが解決を難しくしている。
+その他
+領土問題に準じる、いくつかの問題がある。
+沖ノ鳥島
+日本政府は1931年7月の内務省告示以来沖ノ鳥島を島として支配しそれを継続していること、また国連海洋法条約において島の定義が存在しないことを理由として、沖ノ鳥島を「島」であるとしている[127]。それに対して中国および韓国は、沖ノ鳥島に関する日本の権利を認めながらも、国連海洋法条約121条3項における「岩礁」の定義に基づいて沖ノ鳥島は岩礁であると主張しており、沖ノ鳥島を起点に設定される日本のEEZについてもを認めていない。
+日本海の呼称
+詳細は「日本海呼称問題」を参照
+与那国島上空の防空識別圏
+「与那国空港#防空識別圏問題」も参照
+与那国島の西2/3が、沖縄のアメリカ統治期に東経123度線に沿って設置された防空識別圏(ADIZ、アディズ)を引き継いでいるため、中華民国(台湾)の管理下にある。現在、両国の関係が良好であるために情報の交換もスムーズだが、台湾有事において防衛上の重要な問題となる可能性が高い。2005年(平成17年)末から2006年(平成18年)にかけて台湾が防空識別圏から与那国島を外して運用していた事も判明しているが、特に両国で取り極められた訳でもなく、曖昧なままである。
+2010年6月25日、日本は防衛省訓令改正により防空識別圏を与那国上空にも広げた。台湾には外交ルートを通じて説明した[128]が、台湾の外交部は「事前に我々と十分な連絡をとらなかった」として遺憾の意を表明[129]、日本の決定を受け入れないとしている。
+南樺太・千島列島の放棄後帰属問題
+南樺太及び千島列島は、大日本帝国時代、「内地」であったが、サンフランシスコ平和条約で日本は領土を放棄した。然し、ソ連・ロシアとは北方領土問題のみ解決などから領有権を認めず、「未帰属」後として扱った。しかし、ロシアが実効支配しており、マスコミでも日本語名称は使われなくなりつつある。(樺太→サハリン、豊原→ユジノサハリンクス、等)
+ロシアの対日宣戦布告が違法とする立場などから、「主権残留説」も出ており、一部の論者はこれらの地域の領有権を主張している。また、それとは別に日本共産党が千島列島返還を主張している。日本政府はこれらの問題について、「未帰属」(=未解決)としており、ロシアとの平和条約が結ばれた後で解決するとしている。
+渡航する日本人 [編集]
+安全
+近年、海外への渡航の増加に伴い、犯罪に巻き込まれるケースも増えている。特にアメリカ同時多発テロ事件以降、爆破や拉致・監禁事件なども多発し、有名な例としては、イラク日本人人質事件、アフガニスタン日本人拉致事件、更に武装勢力に殺害される事件も2005年(平成17年)に起きた。また、2002年(平成14年)にニューカレドニアのリゾート地で現地の風習・文化をよく知らずに聖地とされる場所に無断で侵入したために地元民に殺害される事件も発生した。
+世界的に最も良い方である日本の治安、例えば殺人の発生率が低い順に第3位(2000年〔平成12年〕)であることなど、日本人が日本での治安の感覚と同じように海外で行動すると、その感覚の大きな隔たりから犯罪に巻き込まれることがある。
+マナー
+米最大手の旅行サイトExpediaが行ったアンケート調査で、「行儀がいい」、「礼儀正しい」、「物静かで慎ましい」、「クレーム・不平が少ない」の各分野で1位を獲得するなど、2位のアメリカ人を大きく引き離して1位となった[130]。
+一方、以下のような事例も存在する。
+タイやフィリピンなど東南アジアで日本人を含む先進国からの旅行者による児童買春が問題視される。日本では、国内外を問わず5年以下の懲役などを科す児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律が制定されているが、国外での行為が現地における日本・日本人に対するイメージを大きく損なっている。
+2008年(平成20年)11月26日、北海道栄高等学校の生徒21名が修学旅行中に立ち寄ったロサンゼルスの空港にある免税店で高級ブランド品の集団万引きを行い、アメリカのメディアで大きく報道された。
+治安維持 [編集]
+
+対内 [編集]
+詳細は「日本の警察」、「日本の犯罪と治安」、および「日本の刑事司法」を参照
+警察の機構は、内閣府の一機関たる国家公安委員会・警察庁、そして各都道府県の公安委員会・警察本部による二層構造であり、後者の下部組織たる警察署、更に日本から発祥の交番の存在が地域の安全を担う。SAT等をも擁する文民警察である。
+他に、沿岸警備隊たる海上保安庁が国土交通省の外局として、また、国境警備隊たる機能の一部を担う法務省入国管理局(入国警備官)や財務省の税関(税関職員)、或いは、特に薬物犯罪を専門に管轄する厚生労働省の各地方厚生局麻薬取締部(麻薬取締官)などが、それぞれ設置されている。
+銃砲刀剣類所持等取締法により、銃・刀剣などの武器の所持を厳しく規制している。国際連合薬物犯罪事務所の統計によれば、国連加盟192国の内、犯罪・刑事司法の統計を報告している国の中で、殺人、誘拐、強姦、強盗などの暴力犯罪の発生率が著しく低い[131][132][133][134][135]。その理由については、制度的な要素、社会的な要素、日本人の遵法意識の高さなど諸説あるが、その一つとして厳しい銃規制も挙げられる。但し、イギリスの銃規制に見られるように日本と同等ないし罰則だけなら日本よりも厳しいのにもかかわらず、殺人事件に占める銃の使用される比率が日本の倍を超える国が存在するなど、銃規制のみが治安維持に貢献しているわけではない。
+対外 [編集]
+詳細は「日本国憲法第9条」、「日本の軍事」、「防衛省」、「自衛隊」、「自衛隊法」、「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約」、および「日米地位協定」を参照
+
+
+陸上自衛隊
+
+
+海上自衛隊
+
+
+航空自衛隊
+日米安全保障条約に基づき、在日米軍が駐留する[136]。また、事実上の軍隊[137]自衛隊は、陸上自衛隊・海上自衛隊・航空自衛隊から構成され、内閣総理大臣及び防衛大臣による文民統制の下、防衛省によって管理される。また、事実上の準軍事組織として沿岸警備隊たる海上保安庁が存在するが、海上保安庁に対処が困難な事態が発生した場合、主に海上自衛隊が担当する。
+大日本帝国憲法の統帥権を根拠に旧日本軍が政治に深く関与したことへの反省から、自衛隊法第7条により、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つと規定され、文民統制に注意が払われている。また、同じく戦前への反省から自衛隊海外派遣は長らく行われてこなかったが、自衛隊ペルシャ湾派遣や自衛隊カンボジア派遣を契機に開始された。現在では、海外派遣任務は自衛隊の主要任務となっている。
+第二次世界大戦後、日本の部隊は、その所属にかかわらず、一切の直接の戦闘を経験していない。連合国軍の占領下にあった1950年(昭和25年)、朝鮮戦争で海上保安庁の機雷掃海部隊(特別掃海隊)が派遣されたことがあり、死傷者も出している。公開演習などを通じて高い練度を評価されることも多いが、他国の軍隊や民兵組織をと交戦に至った経験はなく、実際の戦闘においての能力は、未知数である。
+(イギリスの経済紙・エコノミストの調査部門であるエコノミスト・インテリジェンス・ユニットが平和の指標として24項目を数値化する)「世界平和度指数」の2009年(平成21年)度版によると、戦争・内戦・テロ、それによる死傷者が無く、軍事費のGDP比が低く、犯罪率が低いことなどから、ニュージーランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、オーストリア、スウェーデンに次いで7位に評価され、2010年には3位とされている[138][139]。ただ、この指標にはアメリカに防衛を依存している日本などに対し有利な計算方法との指摘が出ている。
+要員・装備・予算 [編集]
+以下のような政策・傾向を継続している。
+防衛費の絶対額では世界上位。しかし、国の経済力に対する防衛費の割合は、著しい低水準に抑えられている。
+兵員・戦車・作戦機・軍艦の数などに見られる規模の小ささを、質の向上や同盟国の能力によって補完する。
+近年は財政状況の悪化により、仮想敵国や周辺諸国との協調的な軍縮でなく、単独で一方的・自主的に軍縮する。
+ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の統計によると、以下の通りである。
+国内総生産(GDP)に対する軍事費の割合ランキングは、世界の150位前後である[140](これは、アメリカ中央情報局(CIA)の発行する CIA World Factbook の統計においても同様である[141])。
+2008年(平成20年)度の防衛に関連する予算の総額は、為替レートベースで463億(アメリカ)ドルであり、1位のアメリカ合衆国、2位の中華人民共和国、3位のフランス、4位のイギリス、5位のロシア、6位のドイツに次ぎ、世界7位である[142]。
+1999年(平成11年)〜2008年(平成20年)の10年間の軍事費の増減率は、中国が194%増、ロシアが173%増、韓国が51.5%増、日本が1.7%減であり、周辺諸国に対して相対的に低下している[142](これについては、同盟国であるアメリカからも懸念が示されている[143][144])。
+このように GDP に対する割合の順位(世界の150位前後)に比べてドル換算した絶対額の順位(世界7位)の方が格段に高い理由として、以下が挙げられる。
+GDP そのものが大きく、国力が高い。
+円が強い通貨である。
+広大な領海・EEZと長大なシーレーンを抱える。
+周囲を軍事大国に囲まれる。
+規模が相対的に小さい故に、質の高い要員・装備を目指しているため、装備調達や訓練にコストがかかる傾向にある。
+人件費が高く、予算の大きな部分を占める。
+装備の国産化を指向するにもかかわらず、武器輸出三原則で輸出を自粛しているため、購入単価が下がらない(あくまで自粛であり、見直しの議論もある[145])。
+要員
+詳細は「自衛官」、「即応予備自衛官」、「予備自衛官」、「予備自衛官補」、「防衛省職員」、「自衛隊員」、「防衛書記官」、および「防衛部員」を参照
+2009年(平成21年)における自衛官の定員(千人未満を四捨五入)は、陸自が約15万2千人、海自が約4万6千人、空自が約4万7千人、合計24万8千人、実数は、陸自が約14万4千人、海自が約4万3千人、空自が約4万4千人、合計23万3千人である。特徴として、予備役に相当する予備自衛官等が約4万8千人であり、現役と比べての割合が非常に少ない(通常、予備役の数は現役の数を超える)。
+防衛省の文官は、2万2千人である[146]。
+徴兵制度は第二次大戦以降、廃止されている。
+装備
+詳細は「陸上自衛隊の装備品一覧」、「海上自衛隊の装備品一覧」、「航空自衛隊の装備品一覧」、および「武器輸出三原則」を参照
+定評ある海外製の兵器や、それと同等ないしさらに高性能と見られる国産装備を多く保有する。高い基礎工業力を生かし、車両や艦船の多く、そして航空機の一部が独自開発である。ただし、それらの輸出は武器輸出三原則によって自粛してきた。また、他国の製品であってもライセンス生産を行うなど、可能な限り、国内で調達する傾向がある。これによって、自衛隊の調達する兵器の多くは海外の同等のものよりも高コストとなっているが、他国の意志に左右されず兵器本体及び保守部品の生産ができ、兵器の製造ノウハウを蓄積することによって、保守・運用の効率を高め、ひいては稼働率を高く保つことを狙っている。
+予算
+かつては防衛費をGNPの1%以下に抑える防衛費1%枠という閣議決定があり、現在は撤廃されているが、現在でもこの割合が基本となっている。
+2008年(平成20年)度の GDP に対する防衛費の割合は、SIPRI の統計による世界全体の GDP に対する軍事費の割合2.4%に対し、0.94%である[147][148][149]。
+2009年(平成21年)度の防衛に関連する予算の総額は、4兆7741億円(本体予算4兆7028億円+沖縄に関する特別行動委員会費112億円+米軍再編関係費602億円)、前年比で55億円(0.1%)減で、2002年(平成14年)度をピークに2003年(平成15年)度から2009年(平成21年)度まで7年連続で微減傾向である[150]。
+情勢・脅威 [編集]
+冷戦の時代、ソビエト連邦が最大の仮想敵国であり、自衛隊の部隊も北海道など北方に重点が置いて配置されていた。冷戦はソ連崩壊によって終結し、現在は軍拡を続ける中国、水際外交や国家犯罪を繰り返す北朝鮮の脅威の方が増している、これらへの対抗から部隊の西方への移転が進められている。防衛白書も、近年は中国・北朝鮮に対する脅威を主張している。しかし、根拠地の移転には広大な敷地や大規模な工事が必要なこともあり、あまり進んでいない。
+アメリカ以外との安全保障協力
+2007年(平成19年)3月にオーストラリアとの間で安全保障協力に関する日豪共同宣言が、続けて2008年(平成20年)10月にインドとの間で日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言が、それぞれ調印された。
+核抑止
+「日本の原子爆弾開発」および「非核三原則」も参照
+日本はアメリカ軍の広島・長崎への原爆投下によって無辜の一般市民が大量虐殺された経験から、国民レベルでは核抑止論に対する抵抗・反発の感情が強い。しかし日本政府は「非核三原則」を標榜しつつも非核地帯宣言はせず、事実上の核抑止論の立場に立っており、アメリカの「核の傘」に頼っている。周辺諸国ではアメリカ、ロシア、中国が核兵器の大量保有国である上、北朝鮮が核兵器の開発の成功を発表している。それらに対し、独自の核保有もしくはアメリカとのニュークリア・シェアリングを検討すべきという民間レベルの議論もあるものの、政府および国会に議席を持つ全ての政党が核兵器の開発・保有に反対している。
+シーレーン防衛
+第二次大戦中の日本は、連合軍の通商破壊戦によってシーレーンを破壊され、物資が極度に窮乏する状況に追い込まれた歴史をもっている。さらに1980年代より日本の海洋国家論の高まりと同時に、軍事のみならず、経済・食糧・エネルギー・環境などの総合安全保障の概念が認識されるようになった。漁業の安全や世界中との貿易での立国を維持する上でシーレーンの防衛(海戦や通商破壊などの危険回避)が重要であるものの、グローバルに広がるシーレーンの全ての防衛を独力で完遂することは、現実的にも困難であり、憲法第9条の制約もある。よって、同じく海洋国家として「海洋の自由」を標榜し、グローバルに軍事展開するアメリカと協力することで、コストを抑制しての有効な海洋の安全を図っている。一方で、マラッカ海峡などの海賊やテロも、東アジア全域のみならず、グローバルな共通の危機となり、非対称戦争に対応した国際的な警察力の強化、紛争予防も重要な課題となっている。
+中華人民共和国
+21年連続で国防費の2桁成長という急速な軍拡を続け、軍事力の近代化を進めている。その安全保障政策は、実態や将来像、意思決定の過程が不透明である[151]。日本とは海を挟んで接しているが、中国は外洋艦隊の建設によって海洋権益を拡張する姿勢を強めており、周辺国と係争や紛争を行っている。中でも台湾の併合(台湾回収)は国是[152]となっており、独立の動きがあれば武力侵攻することを示唆している。しかも中国の主張によれば台湾には沖縄県尖閣諸島が含まれており、中国の領有を主張している。近年、中国の一部軍人が沖縄県の独立もしくは併合(琉球回収)を求める立場を示しており(ただし人民解放軍の公式見解ではない)、今後は南西諸島ないしは太平洋北西部(フィリピン海)に中国人民解放軍海軍が強い影響力を及ぼすことが懸念される。このような情勢の下で日本は、中国との対話を続ける一方で、中国の軍事力に対抗する抑止力を整備し、日米安全保障態勢の維持・強化を図る。
+生活・文化 [編集]
+
+詳細は「日本の文化」を参照
+生活史・文化史 [編集]
+縄文時代以前のはるか昔、日本人の祖先が北方から渡来して以来、近隣の文化を取り入れつつ独自に発展した。文化については南方からの伝搬も想定され、日本の基層文化には北方系とみられる要素と南方系とみられる要素が混在している。
+4世紀頃から9世紀頃まで、渡来人により、大陸の文化が伝わった。日本も遣隋使・遣唐使や留学生を派遣し、積極的に中国の文化を取り入れた。朝鮮半島や渤海との交流も続いていた。
+大陸との往来が減った10世紀頃から、これらの輸入された東アジア文化が在来の文化と融合し、日本に特有の国風文化へと発展する。平安時代の文化は貴族や寺院によって担われていたものが現代にまで伝わり、王朝文化の中から生まれた和歌や王朝物語は後世の文芸の規範として大きな影響を残した。平安時代末期には仏教信仰の深まりを背景に「幽玄」などの中世的な美意識が生まれた。
+12世紀頃、北宋との貿易によって紹介された禅宗が禅に発展し、喫茶の習慣も禅宗の寺院から上層階級に定着する。工芸や建築などの技術も宋からもたらされた。南北朝時代には戦乱の世を背景に華麗で奇抜な美を尊ぶ「ばさら」が流行した。室町時代には、武士と貴族の文化が融合した北山文化や東山文化が花開く。「雅」や「わび・さび」といった日本的な美意識が確立し、猿楽(現在の能楽)や茶の湯(現在の茶道)、枯山水などの日本庭園や書院造などの建築が生み出された。地方文化が発展し、京都の文化が日本各地にもたらされた。
+16世紀の半ばからポルトガル人やスペイン人などヨーロッパの人々が来航し、キリスト教や鉄砲が伝えられた。日本の文化は初めて西洋文明に直接接触し、これを南蛮趣味として日本的な形に変化させ、旺盛な消化力を示した。しかし、後の鎖国により西洋文化の受け入れは出島を通じたオランダとの交易に限定された。17世紀以降の江戸時代には、中世の戦乱の時代が終わり、鎖国による閉鎖された環境の中で再び独自の文化が発展した。文化の大衆化が進み、京都・大阪・江戸の三大都市を中心に庶民的な都市文化(歌舞伎、浄瑠璃、戯作、俳諧、浮世絵、大相撲など)が繁栄する。また、国学により日本独自の価値観や文化を見直す風潮も生まれた。この間、アイヌの文化は日本の周縁文化圏として独自の様相を見せる。また、琉球は本土との交流を持ち続けつつも、日本の他の地域とは異なった独自の道を歩む。この状況は、明治維新によって一応の区切りがつく。
+明治維新の後、近代的な独立国家としての体裁を整えた。廃仏毀釈や文明開化に見るように国策として伝統文化が抑圧され、欧米の文化が急速に取り入れられた。特に都市部で衣服、食事、建築などさまざまなものの欧米化が進み、庶民の生活に大きな影響を与えた。一方、日常生活では、伝統的な生活習慣もまた根強く残り、特に地方では依然として伝統的な文化が維持されていた。それが解体されるのは、第二次世界大戦後の高度経済成長以降である。大正期には、経済の好景気などを受け、アメリカ合衆国の文化を取り入れた映画やスポーツなどの享楽的な文化が流行した。昭和にかけて都市部では洋風の生活習慣も浸透していく。しかし、第二次世界大戦の戦時下では欧米風の文化が厳しく制限され、伝統文化も政府に統制された。
+1945年(昭和20年)に政府がポツダム宣言を受諾すると、アメリカ軍を中心とした連合国軍最高司令官総司令部が日本の政治改革を進め、それと共にアメリカ文化も日本人に受け入れられた。冷戦下の独立とともに西側諸国に組み入れられた日本は、アメリカ流の生活・文化を目標とするようになる。
+高度経済成長期に至ると、従来の生活習慣も大幅に変わり、伝統的な文化の多くが日常の場から姿を消していったが、自信をつけた日本人は、自らの文化を再評価するようにもなる。例えば、1970年(昭和45年)の日本万国博覧会(大阪万博)の太陽の塔は、縄文の芸術をモチーフにしたものとされる。日本映画、ポピュラー音楽、大衆文学などの大衆文化の輸出も盛んに行われ、東アジア諸国や欧米の文化に大きな影響を与えるようにもなった。特に、日本製、あるいは日本風の漫画やアニメやコンピュータゲームなどが世界に発信され、様々な摩擦を乗り越えながら、若い世代を中心に広がっている。
+
+
+『源氏物語』は、平安時代中期に成立した長編小説である。
+
+
+歌舞伎は、江戸時代に誕生し発達した日本独特の演劇・伝統芸能である。
+
+
+芸妓は、舞踊や音曲・鳴物で宴席に興を添え、客をもてなす女性である。
+
+
+大相撲は、神道に基づく日本古来の神事であり、国技と認知される(東京都墨田区 両国国技館)
+
+
+雛祭りは、上巳の節句に、雛人形を飾り、菱餅や桃の花を供え、白酒で祝い、女児の幸福や成長を祈る行事である。
+
+
+こいのぼりは、端午の節句までの梅雨の雨の日に、男児の出世を願って飾られた(神奈川県相模原市)
+日本文学
+和歌 / 短歌 / 俳句 / 川柳 / 狂歌 / 戯作 / 物語 / 大衆小説
+日本美術
+日本画 / 浮世絵 / 大和絵 / 水墨画 / 美人画 / 日本人形 / 仏像 / 神像
+メディアアート
+日本映画 / 日本のメディア芸術100選 / 日本の漫画 / アニメ / コンピュータゲーム
+伝統工芸品(民芸品)
+漆器 / 和家具 / 陶芸 / ガラス工芸 / 和紙 / 和楽器 / 茶道具
+日本建築史
+日本庭園 / 神社建築 / 日本の住宅 / 畳 / 風呂 / 日本の温泉地一覧 / マンション / 料亭 /旅館 / 居酒屋 / 炬燵 / 枯山水
+和服
+浴衣 / 作務衣 / 羽織 / 袴 / 振袖 / 留袖 / 小紋 / 足袋 / 下駄 / 扇子
+武士道
+侍 / 家紋 / 日本刀 / 城 / 歴史書一覧 / 忍者
+武道
+古武道 / 大相撲 / 柔道 / 剣道 / 弓道 / なぎなた(薙刀術) / 棒術 / 日本拳法 / 日本泳法 / 居合道 / 合気道
+琉球古武術 / 手 (沖縄武術) / 空手道 / 空道 / 杖道
+これらの一部は、世界に紹介され、総合格闘技や近接格闘術(CQC)、テコンドーやサンボ、ブラジリアン柔術の成立に大きな影響を与えた。また、国が公式に認めたものでないものの、一般に相撲が「国技」と認識される。
+芸道
+茶道 / 華道 / 書道 / 花押 / 日本舞踊 / 香道 / 日本庭園 / 盆栽
+伝統芸能
+純邦楽
+「邦楽のジャンル一覧」も参照
+雅楽(和楽器) / 神楽
+能楽
+能 / 式三番 / 狂言
+文楽 / 歌舞伎
+寄席演芸
+落語 / 講談 / 浪曲 / 漫才 / 猿まわし / 都々逸
+芸妓 / 舞妓
+現代芸能
+演歌 / お笑い / 現代演劇 / 少女歌劇 / J-POP / J-ROCK
+伝統の遊戯
+闘犬 / 闘鶏 / 闘牛 / 昆虫相撲
+将棋 / 囲碁 / 花札 / かるた / 影絵 / 蹴鞠
+じゃんけん / かくれんぼ / 鬼ごっこ / 影踏み鬼 / めんこ / おはじき / すごろく / 折り紙
+あやとり / かごめかごめ / お手玉 / 手まり / 羽根突き / 独楽 / 凧 / 竹馬
+現代の遊戯
+競輪 / ゲートボール / 模型(Template:模型も参照) / オセロ / 日本の携帯電話文化 / ネットサーフィン
+日本の世界遺産
+国際連合教育科学文化機関の世界遺産リストに登録された12件の文化遺産、4件の自然遺産がある。
+祝祭日 [編集]
+詳細は「国民の祝日」、「国民の祝日に関する法律」、「国民の休日」、および「振替休日」を参照
+日付 日本語表記 備考
+1月1日 元日
+1月第2月曜日 成人の日 移動祝日
+2月11日 建国記念の日
+3月21日前後 春分の日 移動祝日(黄道上で太陽が黄経0度・春分点を通過する日)
+4月29日 昭和の日 旧:みどりの日(〜2006年)
+5月3日 憲法記念日
+5月4日 みどりの日 旧:国民の休日(〜2006年)
+5月5日 こどもの日
+7月第3月曜日 海の日 移動祝日
+9月第3月曜日 敬老の日
+9月23日前後 秋分の日 移動祝日(黄道上で太陽が黄経180度・秋分点を通過する日)
+10月第2月曜日 体育の日 移動祝日
+11月3日 文化の日
+11月23日 勤労感謝の日
+12月23日 天皇誕生日
+宗教 [編集]
+
+
+神道は日本独自の宗教であり、神社に建てられる鳥居はその象徴である(広島県廿日市市 厳島神社)
+
+
+仏教は寺院や仏像を作り、それらを信仰の対象とする世界宗教である(奈良県奈良市 東大寺)
+詳細は「日本の宗教」、「祭」、「神仏習合」、「神道」、「日本の仏教」、「本地垂迹」、「修験道」、および「日本キリスト教史」を参照
+日本の宗教の信者数は文部科学省の宗教統計調査では、神道系が約1億700万人、仏教系が約8,900万人、キリスト教系が約300万人、その他約1,000万人とされている。
+日本では、日本固有の信仰である神道と外来の思想である仏教が広く信仰され、半ば融合した神仏習合として分業的に共存した。神道と仏教は明治維新後の神仏分離を経て、明確に区別されたが、神仏習合は各地に残る山岳信仰などにその名残をとどめている。カトリックやプロテスタントなどのキリスト教徒も存在するが、洗礼を受けた正式な信者は、総人口の1%を超えず、教会も社会に強い影響力を有さない。いっぽう、キリスト教徒である著名な文学者や思想家など文化人の社会的な影響は、必ずしも小さくない。しかし、クリスマスなどいくつかの儀式・祭礼は、しばしば本来の宗教と関係なく世俗的な年中行事として広く受容される。ムスリム(イスラム教徒)やユダヤ教徒は、在日外国人を除けばわずかである。
+スポーツ / マスメディア [編集]
+スポーツ
+詳細は「日本のスポーツ」を参照
+19世紀後半にアメリカ合衆国から伝わった野球が国民的なスポーツとしての地位を得た。1934年(昭和9年)に大日本東京野球倶楽部が結成され、1936年(昭和11年)に国内初のプロフェッショナルスポーツである日本職業野球連盟が発足した。以降、最大のメジャースポーツとしての地位を確立した。
+長く日本プロ野球が一強に君臨する時代が続いたが、1993年(平成5年)の日本プロサッカーリーグが発足して以降、サッカーもメジャースポーツの1つとして認知されるに至る。2001年(平成13年)より、全てのスポーツを振興するための資金の捻出を目的とし、スポーツ振興くじが全国で開始された。
+また、公営競技として日本に発祥の競輪や競艇、オートレース、そして外来である競馬が存在する。日本の競馬の最大の主催者である日本中央競馬会の売り上げは世界一であり、平均的な賞金も非常に高い。
+マスメディア
+詳細は「日本の新聞」、「日本のラジオ放送局」、「日本のテレビジョン放送局」、および「日本における衛星放送」を参照
+読売新聞、朝日新聞、毎日新聞が三大紙である。経済紙である日本経済新聞は、株価欄を始めとする経済に関連する記事の比重が高い。更に、産経新聞を加えた5紙が全国紙である。
+放送は、国営放送が存在せず、公共放送を担う日本放送協会(NHK)、及び多くの民間放送により、成り立っている。主に電波法、放送法などによって規制される。衛星放送は、官民が協力して複数の放送衛星・通信衛星を利用している。ケーブルテレビは、衛星放送に比べると普及していないが、近年、ISP(日本のインターネット)や、VoIP技術を用いたIP電話を中心とする直収電話など、電気通信役務を提供する電気通信事業者としての面をも有する。
+プレートや火山が混在し、また、台風の通り道に位置するなど、常に災害と隣り合わせだった風土から、これらの自然災害を未然に防ぐため、緊急警報放送が普及し、実情に合わせて緊急度の見直しが度々なされている。特に、地震や津波などの報道においては、(津波警報、津波注意報、津波予報など)津波情報の速報体制が敷かれる。
+食文化 [編集]
+詳細は「:Category:日本の食文化」、「日本料理」、「和菓子」、および「日本の郷土料理」を参照
+
+
+伝統的な日本料理
+豊かな漁場や肥沃な農地に恵まれ、良質な食材の入手が可能である。良質で豊富な飲料水にも恵まれ、伝統的な和食の他にも世界中の食文化を取り入れた。世界で最も食文化の豊かな地域の一つと言える。ただし、日本の人口の多さから、カロリーベースの食料自給率は低く、食料輸入国である。
+主食・副食
+日本人は、主食・副食(おかず)の区分の意識が強く、両者を別々に容器に盛り、同時に食べるのが一般的である。それによって各人のペースで主食と様々な副食との割合を調整する。代表的な主食は、米を炊いた飯である。また、パンや麺も大きな地位を占める。芋は、かつて救荒食として重要な地位にあったが、現在は主食として扱われることはまずない。主要穀物では米のみ、ほぼ国内で自給し、コムギ、トウモロコシ、及び豆類は、大半を海外から輸入している。副食は、出汁(だし)と呼ばれる旨味の味付けが重視される。
+海産物
+四方を海に囲まれ、漁業が特に盛んであり、利用される魚介類も実に多い。ナマコ、ホヤ、クラゲなどの世界的に珍しい物をも含めて多様な海産動物を利用し、コンブなどの海藻も重要な位置を占める。調理法も多様で、寿司・刺身による生食も広く行われる。
+食肉
+平野が少なく牧草地に恵まれず、殺生を忌む仏教の影響から家畜の肉を食べる習慣も一般的でなかった(ただし、野生動物や鳥類はしばしば食べられていた)。しかし、日本国外の食文化の流入に伴い、肉食は完全に一般化した。学校給食などの影響から、乳製品を利用する習慣も定着している。現在は乳製品、鶏卵、鶏肉の自給率が比較的高いが、牛肉、豚肉は、輸入が過半を占め[153]、国産の肉は、主に産地ブランドなどで高級品を志向する。飼料は大半を輸入に依存する。
+野菜など
+伝統的に人糞尿を肥料として栽培されてきたため、生食の習慣がなかったが、戦後、清潔な野菜が供給されるようになり、サラダなどの生食も一般化した。海外からの輸入も増えているが、農薬が残留した野菜が少なからず輸入され、問題になることもある。
+携帯食・保存食品
+伝統的に、おにぎりや弁当、漬物、さまざまな乾物などが利用されてきた。現在、インスタント食品や冷凍食品などの加工食品、パンやビスケット類など、多様な食品が利用される。
+嗜好品
+伝統的に緑茶や和菓子、米菓が親しまれてきた。現在、世界中の茶飲料が飲まれるようになり、コーヒーや紅茶、ココアや烏龍茶など多様なソフトドリンクが日常的に飲まれ、洋菓子も広く親しまれる。菓子類や清涼飲料水は、自動販売機やコンビニエンスストアなどで簡単に購入できる。また、喫茶店も広く営業されている。
+酒類
+伝統的に米を原料とする日本酒に加え、米やイモ、麦などの多様な作物を原料とする焼酎が飲まれてきた。現在、ビールやワイン、ウイスキーなども一般化するなど、世界中の酒類を購入できる。ただし酒税法により、酒類を自家生産することができない。
+外食産業
+蕎麦、うどん、寿司などの伝統的な和食のファーストフードの他にも、日本人の好みに変化した洋食や中華料理が非常に発達している。また、1970年代以降、アメリカから進出したファーストフードなどが普及したほか、アジアやヨーロッパの食文化も流入し、大都市では世界中の料理を食べることができる。持ち帰り惣菜・弁当などの中食産業も発達している。
+社会保障 [編集]
+戦前
+主に家族や地域社会における相互扶助によるものとされたが、軍人をはじめ公務員に特有の恩給制度があった。1942年(昭和17年)に戦費の調達を目的に発足した労働者年金保険が、日本の社会保障制度の始まりである。1944年(昭和19年)に厚生年金保険法が制定されたのを契機に民間労働者の厚生年金も普及した。並行して民間企業における熟練労働者の長期雇用、年功賃金、企業年金、退職金といった、戦後の日本型福祉社会を担う企業福祉も普及した。
+戦後
+日本国憲法第25条が定める「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」、すなわち生存権の実現を目指した。政府は、「最低限度の生活を営む」ための児童保育、学校教育、職業訓練、雇用保険(1974年(昭和49年)までの失業保険を継承)、障害者介護・自立支援、生活保護といった福祉サービスを提供しつつ、企業福祉を充実させる社会政策を採用した。その過程で職域保険から外れた対象を救済するため、1958年(昭和33年)に官庁や企業に組織化されない対象のために国民健康保険が発足し、1961年(昭和36年)年以降、ほぼ国民皆保険が実現した。また、1959年(昭和34年)年に企業年金や職域年金から外れた対象のために国民年金も発足した。
+近年から現在に至る社会問題
+少子高齢化による医療費負担の増大に伴い、財政の逼迫した健康保険組合が増え、組合管掌健保や協会けんぽの保険料率や国庫負担率の引き上げが議論される。現在、毎年のように国民年金保険料や厚生年金の負担率が引き上げられて現役世代への負担が増し、公的年金の世代間格差が問題になっている。
+生活保護制度も数々の生活保護問題を抱えている。当初より不正受給などの問題があったが、不況の長期化により受給者が増加し続けており財政負担が無視できないものになっている。またデフレの進行に伴う賃金の低下や非正規雇用の増加は、相対的に生活保護の生活水準を引き上げることになった。これにより国民年金のみや低賃金労働で生活するよりも、生活保護を受けたほうが良い暮らしをできるという可能性が、自立を目指さないというモラルハザードを生むのではないかという批判を強めることになった。
+健康・医療 [編集]
+寿命
+2006年(平成18年)度の平均寿命は、男性79.0歳、女性85.8歳である[154]。また、世界一の長寿である[155]。また、健康寿命でも、男性72.3歳、女性77.7歳(2001年〔平成13年〕)と、これも世界一の長寿である。
+主な死因
+終戦直後まで結核などの感染症が多かったが、現在(2003年(平成15年) / 2004年〔平成16年〕)、一に悪性新生物(癌)、二に心疾患、三に脳血管疾患と、生活習慣病を中心とする慢性疾患が主である。しかし、今日でも結核による死亡率も高い。
+医療従事者の人数
+世界最高レベルの周産期死亡率・平均余命を達成する一方、2004年(平成16年)度の統計値によると、人口1000人あたりの医療従事者の人数は、医師が1.98、歯科医師が0.71、看護師が7.79、助産師が0.19、薬剤師が1.21であり、一人当たりの GDP が20,000ドル以上の国々の中でも最低グループに属し、日本を上回る開発途上国すら多く存在する[156]ことなどから、その不足が指摘されている。
+保健(健康)への支出
+GDP に占める比率が7.8%、政府が負担する比率が81.3%で、一人当たりの GDP が20,000ドル以上の国々の中における標準的な水準である[157]。
+急速に進む出生率の低下・労働世代人口の減少・高齢化社会への対応として、国民健康保険料の増額、医療費自己負担分の増加、後期高齢者医療制度の導入など、一連の医療制度改革により、負担が増加する傾向にある。近年、これら医療費への支出を抑制する政策によって医療のサービス水準も低下し、病院の70%が赤字経営で、産科や救急医療の廃止などの重要な機能の停止は、各地で社会問題となっている。
+検疫など
+近年、大学の医学教育や基礎医学研究の場における感染症や寄生虫症の扱いが後退し、麻疹の輸出国として非難されている。また、海外からの病原体の移入や海外旅行者が帰国した後の感染症・寄生虫症などの発症に対しての態勢にも危惧が抱かれている。
+少子高齢化 [編集]
+現在、いわゆる少子高齢化が進む。
+少子化・育児・子育て
+一時は、明治以降の近代化の過程で、乳児の死亡率の低下や国力の上昇によって人口の激増が起こった他、戦後のベビーブーム(団塊の世代)により、若年層ほど多いピラミッド状の構成となった。しかし、高度経済成長以降、一人の女性が生涯に産む数(合計特殊出生率)も世界最少レベルの1.3近くまで低下した。その原因として、以下などの複合的な要因が指摘される[158]。
+医学・医療の向上による、死亡率の減少。
+教育水準の向上による、学費負担の増大。
+公的な育児支援の不足。
+長時間労働による育児のための時間の不足や、仕事と育児との両立の困難さ。
+核家族化による、祖父母からの扶助の減少。
+地域社会における相互扶助の希薄化。
+育児以前に、結婚すら出来ない低所得者層の増大。
+政府は、出生率の低下を深刻な問題とし、現在の人口を維持できる2.0?2.1前後までの増加を理想とするが、有効な対策が成らず、その見通しも立たない。2010年(平成22年)4月より、子ども手当法が施行されたばかりである。
+高齢化社会・介護
+経済的に豊かになったことや医学・医療の向上により、平均寿命・平均健康寿命が世界で最も高い国になったが、同時に、介護が必要な高齢者人口の増加にも至った。(育児と同様、)時間の不足や仕事との両立の困難さ、核家族化による祖父母の世代との別居や高齢者のみ(夫婦2人や1人)世帯の増加、地域社会における相互扶助の希薄化などが複合的な要因となり、伝統的に行われてきた家族による高齢者の介護が困難となったことから、2000年(平成12年)に介護保険が創設され、家族・行政・地域社会の協力による政策に転換した。しかし、不十分な経験や、激務に比して低額な介護報酬ゆえに事業者や従事者が十分な収入を得られないこと、行政の必要十分な予算の不足などの複合的な要因により、様々な需要に対する必要十分なサービスの提供に至らない。
+自殺 [編集]
+世界保健機関(WHO)の統計(2010年〔平成22年〕)によると、WHOに自殺統計を報告する104か国の中における自殺率の順位は、高い方から第6位であり、人口一人当たりのGDPが20,000ドル以上の国々の中では、第1位である。
+政府は、この先進国でも極めて高い自殺率を重要な問題と認識し、その原因については、宗教・死生観など日本人の様々な精神性が仮説として提示されるが、依然として解明されていない。但し、諸国と比較し、社会全体で自殺を包括的に予防する対策の不備が指摘される。2006年(平成18年)に自殺対策基本法が制定されたが、基本的な枠組みを規定するに止まり、具体的な制度や政策の規定に乏しい[159]。
+教育・科学・技術 [編集]
+
+詳細は「日本の教育」、「日本教育史」、および「教育基本法」を参照
+義務教育・初等教育・中等教育 [編集]
+詳細は「義務教育#日本」、「初等教育」、および「中等教育」を参照
+1990年(平成2年)時点の識字率は、99.8%(男99.9%、女99.7%)。日本国籍を有する6歳から15歳までの9年間(学齢)を対象とする義務教育が実施される。一般には、小学校6年間、中学校3年間。特別支援学校については、小学部6年間、中学部3年間。中等教育学校については、前期課程3年間。なお、中学校を卒業した内の約96%が高等学校に進学する。
+生涯学習・教育訓練 [編集]
+詳細は「生涯学習」および「教育訓練」を参照
+ この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
+高等教育・基礎科学 [編集]
+詳細は「高等教育#日本における高等教育」および「基礎科学」を参照
+「日本人のノーベル賞受賞者」も参照
+ この節は執筆中です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
+テクノロジー研究開発・応用科学 [編集]
+
+
+日本の宇宙開発(JAXA・きぼう)
+「テクノロジー」、「研究開発」、および「応用科学」も参照
+世界的にも多くの分野で高水準のテクノロジーを有する。国際特許の出願数は、アメリカ合衆国に次ぐ世界第2位、特許収入もアメリカに次ぐ世界第2位の黒字国である。
+環境・エネルギーに関連する技術
+世界的にも高水準の技術を有する。ディーゼルエンジンの特許の出願数は、世界第1位である。原子力発電システムを独自開発する技術を持つ国のひとつ。世界的に最も高水準の二次電池技術を有し、ハイブリッドカーや高性能な携帯情報機器の基盤となっている。バイオ燃料や燃料電池、太陽光発電など新エネルギーの研究も盛んだが、普及面で言えば諸外国に立ち遅れている。
+情報技術
+マイクロプロセッサ設計に関しては高水準の技術を有し、マイクロコントローラ開発ではアメリカ合衆国に次ぐ開発拠点となっている。日本企業は半導体デバイスの製造装置で高いシェアを有するが、ハードディスクドライブ(HDD)、フラッシュメモリや液晶ディスプレイの生産では、韓国や台湾に押されている。光ファイバーや結晶引上技術など素材に関する研究に厚みがあり、その基礎技術は、依然として優位である。ソフトウェア分野では、組み込みシステムの技術者層が特に厚い。
+原材料・ナノテクノロジー
+特殊鋼、合成繊維、セラミックスなど幅広い分野で世界的にも高水準の技術を有している。特に複合材料を得意とし、自動車産業・造船・航空宇宙・防衛産業などを支える。
+先端計測技術
+磁力や近接場マイクロ波、中性子の利用技術、複合計測技術などは、高い水準にあるが、イオンやレーザー利用技術などは、低水準である。
+ライフサイエンス(生命科学)
+アメリカ合衆国、そしてヨーロッパ全体に次ぐ3番手の位置にある。幹細胞に関連する技術についても人工多能性幹細胞(iPS細胞)の技術で世界を先行するが、幹細胞に関連する技術の全体で言えば、特許の出願数の半分以上がアメリカ合衆国で、以下、EU、日本と続く。
+宇宙開発
+詳細は「日本の宇宙開発」、「宇宙航空研究開発機構」、および「宇宙基本法」を参照
+1970年に日本初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げ、ソ米仏に続き世界で4番目に衛星を自力で打ち上げた国となった。国際宇宙ステーション計画には日本がアジアで唯一参加している。
+経済・産業・交通 [編集]
+
+
+
+日本銀行は、日本の中央銀行である(東京都中央区 日本銀行本店)
+
+
+東京証券取引所は、日本の証券取引所の中枢的存在である(東京都中央区)
+詳細は「日本の経済」を参照
+規模・位置 [編集]
+資本主義・市場経済を採用する工業国であり、2010年時点で、国内総生産 (GDP) がUSドル時価換算の為替レートで世界第3位(購買力平価 (PPP) で世界第3位)に位置する経済大国である。一人当たり GDP は2010年時点で、USドル時価換算で世界第16位、購買力平価 (PPP) で世界第24位である。
+「国の国内総生産順リスト (一人当り為替レート)」および「国の国内総生産順リスト (一人当り購買力平価)」も参照
+通貨である円 (\, yen, JPY) は、高い信認を有する国際通貨の一つである。日本人は、その信認の高さから現金決済や貯蓄を好む傾向がある。1964年(昭和39年)に経済協力開発機構 (OECD) に加盟し、サミット(主要国首脳会議・当時のG5・後にG7・現在のG8)にも1975年(昭和50年)の第1回から参加するなど、その動向も世界経済に強く大きな影響を与える。[要出典]
+経済史 [編集]
+明治以来、西欧型の民法典を導入し、財産権を基礎とした資本主義を経済の基本とする。第二次世界大戦時の戦時体制を経験した後、物価統制令や傾斜生産方式、外貨準備に伴う割当制など、通産省や大蔵省が主導する護送船団方式により、製造業を軸に高度経済成長を果たした。1968年(昭和43年)、国民総生産 (GNP) ベースでアメリカ合衆国に次いで第2位の規模の資本主義国となった。他の資本主義諸国と比較して失業率も低く、「最も成功した社会主義国家」と言われた時代もあった。1974年(昭和49年)のオイルショックを機に安定成長期に入り、自動車、電化製品、コンピュータなどの軽薄短小産業が急成長する産業構造の転換が進んだ。円高が進む中、比較劣位の産業のいくつかは、競争力を喪失して衰退し、自動車産業など、比較優位で競争力の高い輸出産業は、円高の波を乗り切り、基幹産業として世界でも最高水準の競争力を持つに至った。しかし、製造業では生産拠点が海外に流出する空洞化が進行している。 1990年代前半にバブル景気が崩壊したことによる不況で、「失われた10年」と呼ばれる長期不況に苦しんだ。日本の経済成長率は、高度成長期はもちろんのこと、安定成長期にも欧米を上回っていたが、1990年代以降は欧米や東アジア諸国を大幅に下回っている(1991年から2009年までの日本の平均経済成長率は0.8%)。日本は継続的にアメリカ国債を購入し、2012年3月時点で1兆830億ドル分を保有し中国に次ぐ世界第二位の保有量となっているが、近年のドル安で約40兆円の為替差損が発生している。アメリカ国債からは毎年14.5兆円が償還されるが、償還金をアメリカ国債再購入に充てている[160][161]。1999年10月以降、アメリカ国債購入には日本国民の預貯金が当てられている[162]。
+格差社会
+高度経済成長を遂げた日本では、「国民総中流」と呼ばれる貧困層が存在しないかのような意識が浸透していたが、近年、貧困層の存在が広く知られ、貧富の差が拡大しているという意識が広まった。経済協力開発機構 (OECD) の統計によれば、2005年(平成17年)度の貧困率は、OECD加盟国(30ヶ国のうち、貧困率を統計する17ヶ国[163])の内の第2位、15.3%である。この原因としては、高齢化社会による年金生活者や賃金の低い非正規雇用の増加が挙げられる。税制や社会支出は、一般に格差是正の機能を有するが、日本では国民年金や国民健康保険、介護保険の逆進性が高いため、富の再分配が逆に格差拡大につながってしまっていることが示されている。
+失業
+戦後の日本企業では終身雇用制度がとられていた事もあり、失われた10年まで失業が社会問題化することは稀だった。例外として、オイルショックの後、一時失業者が増加したが、その後の景気回復で一時的な不安に終わっていたが、バブル景気崩壊後の平成不況によって就職氷河期と呼ばれる時代が訪れ、失業が社会問題化した。また、2008年以降の世界金融危機によって完全失業率は戦後最悪水準の5.0%にまで悪化している[164]。
+債務
+1990年代以降における財政政策により、公的債務(国・地方の合計)が1100兆円以上となっているが、その殆どは国内で消化しており、外国に対する債務は5%程度と低い。
+小さな政府
+人口に占める公務員の比率が低く、経済に占める公営企業の規模も小さい。企業内福祉や家庭・地域社会での相互扶助を重視した社会保障制度を構築することにより、諸外国に比べて「小さな政府」を実現している。近年、行政改革が論じられ、公務員の更なる削減や民営化が進められている。[要出典]
+農林水産業 [編集]
+
+
+米は、日本では主食として重要な農産物である。現在では、減反政策が行われている(新潟県南魚沼市)
+農業
+他国と比較して生産量が多い農産物は、生糸、キャベツ、イネ(米)、サツマイモ、タロイモ(主にサトイモ)、茶、ホップなどである。
+米は、日本人の主食であるが、他に米を主食とする諸国も多いため、1100万トン(世界シェア1.9%)の生産量に止まる。
+キャベツ、タロイモ栽培は、世界第5位である。
+畜産業(畜産)では、養鶏が盛んであり、鶏卵の採取量は、世界第3位である。
+林業
+1970年(昭和45年)以降の木材の輸入自由化により競争力を喪失し、一部のブランド木材の産地を除き、既に壊滅状態に追い込まれている。
+水産業・漁業
+漁獲高は、2002年(平成14年)時点で世界第5位(440万トン)である。
+貿易(輸入・輸出)
+食料自給率は、60%を世界各地からの輸入に頼るため、約40%と低い。近年、食の安全への関心の高まりから国産ブランドの需要が回復し、一部の農産物は、高級食材として輸出される。また、中国での魚介類を消費する習慣の広がりにより、水産物の輸出が急増している[165][166]。
+従事者
+高齢化が進み、将来の人材の育成が課題である。[要出典]
+鉱工業 [編集]
+鉱業
+地下資源は、全体としての産出量が概して少ないものの、埋蔵される鉱物の種類が非常に豊富で、俗に「鉱物の博物館」[167]と呼ばれる。鉱業の中心を占めるのは、世界第5位(2001年〔平成13年〕)の320万トンを産出する硫黄、そして、世界第2位(2005年〔平成17年〕)の6500トンを産出するヨウ素である。その他、産出量では、天然ガスの101千兆ジュールや石炭の302万トンが目立つ。少量ながら、原油をも産出する(約37万キロリットル・2001年(平成13年)時点)。金属資源は、亜鉛の4万3000トンを筆頭に、鉛、銅を産出する。この3金属は、いずれも非鉄金属として非常に重要である。しかし、いずれも国内消費量の4%、6.8%、0.02%しか賄えない。かつて大量に産出していた金や銀も採掘されるが、現在いずれも世界的なシェアが0.5%以下(金8.6トン・銀81トン)である。国内需要を賄うだけの産出量がある地下資源は、石灰岩(セメント原料)、珪石(水晶/ガラス・レンズ・光ファイバー・建築材料の原料)など、ごく僅かである。
+現在、あまり資源として活用されていないが、メタンハイドレートが近海に多く眠ることが分かっている。これは、採掘の手法が未だ確立していないが、将来的に石油が枯渇した際における新エネルギーとして注目を浴びている。[要出典]近年では、都市鉱山という考え方も普及し、日本に蓄積される貴金属やレアメタルの埋蔵量が世界有数であるとの研究があり、廃棄される家電や電子機器などから、これらをリサイクルする事業活動も広がりを見せる。
+工業
+
+
+日本は世界有数のメーカーを数多く有し、技術も世界最高水準である(レクサス・LSハイブリッド)
+
+
+日本はロボット先進国でもあり、産業用ロボットを初め様々な分野で活用されている(ホンダ・ASIMO)
+基幹産業であり、特に素材・金属加工・造船・土木工学・機械工学・電気工学・電子工学などの製造業は、世界最高水準の技術を維持する。原油・ゴム・鉄鉱石などの原材料を輸入して自動車、電気製品、電子機器、電子部品、化学製品などの工業製品を輸出する加工貿易が特徴であるが、近年、大韓民国や中華民国からの電子部品や電子機器などの半製品の輸入も増大し、輸出品、輸入品、共に電子機器が最大である。
+トヨタ自動車や日産自動車、本田技研工業などを筆頭に世界有数の自動車産業を擁し、世界第3位の新車販売、世界第2位の保有台数を記録する[168]。
+「日本車」も参照
+一方、航空宇宙産業(航空宇宙工学)・医薬品化学・バイオテクノロジー・情報技術などの新しい産業の分野においては、必ずしも最高水準と言えず、また、全体としての製造業は、中国や韓国、台湾などの新興国の成長に押され、1980年代をピークに収益率も下落を続ける。そのため、ナノテクノロジーや民生用のロボット工学、生物工学、金融工学などに活路を見出そうとしている。
+通商・金融 [編集]
+2002年(平成14年)時点の主要な輸出の相手国は、金額ベースで28.9%を占めるアメリカ合衆国、中華人民共和国 (9.6%)、大韓民国 (6.9%)、香港 (6.1%)、シンガポール (3.4%)である。アメリカ合衆国、東アジア、東南アジアへの輸出を合わせて55%を占める。輸入の相手国は、アメリカ合衆国 (18.3%)、中国 (17.4%)、韓国 (4.6%)、インドネシア (4.2%)、オーストラリア (4.2%) であり、以上で48.7%を占める。貿易収支は、黒字(2004年(平成16年)に約14兆円)である。主要な輸出品は、金額ベースで自動車 (22.3%)、機械類 (21.6%)、電気機械 (20.5%)、鉄鋼 (3.7%)、化学薬品 (3.1%) の順である。主な輸入品は、電気機械 (12.2%)、機械類 (11.2%)、原油 (10.8%)、衣類 (5.2%)、天然ガス (5.2%) である[169]。
+
+
+東京は世界最大の都市圏人口と経済規模を兼ね備える、世界一のメガシティである。
+日本の産業は、発展の過程で間接金融による資金調達を広く用いたため、銀行が経済に与える影響が大きい。銀行は、融資で土地資産を担保に取ることが多かったため、土地が経済に与える影響も大きい。しかし、バブル景気の崩壊後は、直接金融や市場型間接金融への転換が進められている。金融機関では、バブル時期の焦げ付き、いわゆる不良債権問題が長引き、1990年代初頭に金融危機を引き起こした。しかし、政府主導で大合併が行われて公的資金を注入しての強引な解決が図られ、その後は、超低金利政策の下、高収益を上げるようになった。日本銀行は、2006年(平成18年)にゼロ金利を解除したが、未だ金利の水準が低く推移し、個人消費の伸びも見られないなど、経済回復が明確でなく、2007年(平成19年)現在、それ以上の金利引き上げに至っていない。
+また、継続的な経常黒字により、世界最大の債権国であり、世界経済からの配当や利子の受け取りが次第に増大している。2010年現在、日本の対外資産残高は563兆5,260億円、対外負債残高は312兆310億円で、差し引き対外純資産残高は世界最大の251兆4,950億円である[170]。
+日本としては世界最大の黒字国であるが、日本政府は歳入の47.9%が公債で賄われている状況である(平成23年度一般会計予算)[171]。しかしながら、日本国債のほとんどは国内保有であり、日本国内の資産となっている。
+交通 [編集]
+詳細は「日本の交通」を参照
+「日本の企業一覧 (空運)」、「日本の企業一覧 (陸運)」、および「日本の企業一覧 (海運)」も参照
+古くから北太平洋及び北東アジアの交通の要所として海運や航空において重要な位置を占め、世界的に有数の規模の海運会社や航空会社が存在し、各国を結ぶ。また、アジアにおいて最も早く鉄道を導入した国の一つであり、私鉄による鉄道網が全国を網羅している。また、高度経済成長以降、モータリゼーションが進み、道路網・高速自動車専用道路網が発達している。
+航空
+
+
+MRJは、最新鋭の国産小型旅客機として開発が進められている次世代リージョナルジェットである(三菱航空機)
+「日本の航空機産業」も参照
+1950年代以降、日本航空が日本のフラッグ・キャリアとして国内外に路線を広げ、アフリカを除く全大陸へ就航し、現在もアジアのみならず世界でも有数の規模を誇る航空会社として知られていたが、2010年、会社更生法の適用を受けた。また、1980年代まで国内線のみを運航した全日本空輸は、現在、アジア圏を中心に欧米へ国際線を運航する。
+1990年代以降の規制緩和を受け、スカイマークや北海道国際航空、スカイネットアジア航空などが新規参入し、国内航空運賃の引き下げに寄与した。
+地方を中心に空港インフラが充実し、国内に98もの空港を有する。一方、都市部における空港インフラは、整備途上で慢性的な容量不足であり、航空充実の足かせとなっている。
+鉄道
+
+
+新幹線は、大都市間を結ぶJRの高速幹線鉄道である(N700系)
+詳細は「日本の鉄道」、「日本の地下鉄」、および「日本のモノレール」を参照
+明治維新以降、1872年(明治5年)10月14日の新橋駅(のちの汐留駅) - 横浜駅(現・桜木町駅)間の開通を皮切りに、国策として全国に鉄道網が急速に敷設され、日本国有鉄道(国鉄)や他の数多くの私鉄へと発展した。1970年代までに私鉄、国鉄ともに多くの路線が電化され、世界に例を見ない規模で分刻み・秒単位のスケジュールで運行され、その規模、技術、運営ノウハウ共に世界最高水準と言われる。
+1964年(昭和39年)に国鉄(現在のJR)によって導入された新幹線は、都市間を結ぶ高速鉄道として空路に並ぶ地位を築き、在来線と規格が異なるので全国で開通していないが、整備が続く。都市圏では、それに地下鉄やモノレールが加わる。更に、近年の環境問題の意識から路面電車が見直され、富山県などでライトレールが導入されている。
+2003年(平成15年)8月の沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の開通によって全ての都道府県に広がり、2004年(平成16年)の時点での全国における総全長は、23,577 kmである。
+特筆すべきは、高速鉄道網による国内航空路線の置き換えを実現しつつあることで、過去にも新幹線各路線の開通に伴って並行する航空路線が順次整理されており、北海道新幹線・リニア中央新幹線の開通によって東京発着の国内航空路線は大幅に削減される予定である。
+道路
+
+
+富士山と日本の大動脈の夕景。山側の国道1号と海側の東名高速道路(静岡県静岡市)
+詳細は「日本の道路」、「日本の高速道路」、および「日本における自動車」を参照
+高度経済成長以降、自動車産業の保護を目的に、国内における陸運の主力をトラックにする政策が採用されたことなどから、全国的に道路・高速道路の整備が進められた。しかし、近年、都市部を中心に慢性化した渋滞や通行料の高さ、駐車スペース確保の困難さ、環境問題への対策として、鉄道や航空機などの公共輸送、船舶輸送などが見直されている。
+2004年(平成16年)時点での舗装された道路の全長は、1,177,278 kmである。
+海運
+「海運#日本の海運会社」および「造船#日本の造船史」も参照
+四方を海に囲まれ、欠かせない運送手段であり、沿岸部に工業地帯や人口が集中する理由でもある。日本郵船や商船三井などの世界有数の規模を持つ船会社が19世紀の後半から各国との間に貨物船や旅客船を運航してきた。現在、中東や東南アジアから石油や天然ガスなどの資源が輸入され、ヨーロッパやアメリカ合衆国へ電化製品や自動車などが輸出される。国内航路においても大小の船会社によって多数の貨客フェリーや高速船が運航される。また、造船分野においても、その技術力の高さから世界有数の規模を保つ。
+脚注 [編集]
+
+[ヘルプ]
+^ 吉村武彦 『古代天皇の誕生』(角川書店、1998)
+^ 『日本書紀』巻之第一 神代上 第四段「日本、此云耶麻騰。下皆效此」(日本、これヤマトと言う。下は皆これにならえ)
+^ 熊谷公男 『大王から天皇へ 日本の歴史03』(講談社、2001年)、吉田孝 『日本誕生』(岩波新書、1997年)など
+^ 吉田孝 『日本の誕生』(岩波新書、1997年)
+^ 天武天皇は、飛鳥浄御原令が成立する以前の686年に没している。
+^ 神野志隆光『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)など
+^ 神野志隆光『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)
+^ 古田東朔「国号」節(「日本」項、『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1990年)
+^ 『続日本紀』慶雲元年(704年)七月条に、粟田真人を執節使とする遣唐使が唐(大周)から帰国したとの記述がある。
+^ 『旧唐書』列傳第149「東夷」、「倭國者、古倭奴國也。…日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰 倭國自惡其名不雅、改為日本。或雲 日本舊小國、並倭國之地。」
+^ 『新唐書』列傳第145「東夷」、「日本、古倭奴也。…後稍習夏音、惡倭名、更號日本。使者自言、國近日所出、以為名。或雲日本乃小國、為倭所並、故冒其號。」
+^ これらの記述は、天武天皇が大友皇子の近江朝廷を滅亡させた壬申の乱を示すとする説がある。
+^ 井真成墓誌は、中華人民共和国の陝西省西安市内工事現場で発見されたと、2004年10月に発表された。
+^ 「日本」呼称、最古の例か 678年の墓誌?中国で発見 - 文化 - 朝日新聞 2011年10月22日
+^ 網野善彦『「日本」とは何か』(講談社、2000年)、神野志前掲書など。
+^ 神野志隆光は、日本の称が中国の世界観の中から生まれた可能性を指摘した上で、故に日本の国号が唐に受け容れられたのではないかと考察している。
+^ 東野治之『遣唐使と正倉院』(岩波書店、1992年)や神野志前掲書など。
+^ a b 第171回国会 質問第570号 日本国号に関する質問主意書 衆議院公式サイト
+^ 万葉集で枕詞「日の本の」は「大和(やまと)」にかかる枕詞。日の本の大和の国の鎮(しずめ)ともいます神かも(goo辞書「ひのもと-の」[1])。日の出る本の意味から日本の異名。「ひのもとの末の世に生まれ給ひつらむ(源氏物語)」(goo辞書「ひのもと」[2])。また「日の本の国」は日の本に同じ。「日の本の国に忍辱(にんにく)の父母あり(宇津保物語)」[3]
+^ 旧唐書には倭国・日本伝があり、「日辺にあるゆえに日本をもって名となす」(日本國者倭國之別種也、以其國在日邊、故以日本為名)とあり、これを「ニッペン」「ニッポン」の語源と推理する史家もいる。『律令時代の日本』今井欣一(PDF-P.194)
+^ 『日本書紀』巻之第一 神代上 第四段「日本、此云耶麻騰。下皆效此」(日本、これヤマトと言う。下は皆これにならえ)
+^ 岩崎小弥太 『日本の国号』(吉川弘文館、1970)、吉田孝 『前掲書』。
+^ 吉田東朔「国号」節(「日本」項 『国史大辞典』、吉川弘文館、1990)
+^ 小池清治 『日本語は悪魔の言語か? - ことばに関する十の話』 角川書店、2003。
+^ 寺島良安『和漢三才図会』
+^ 宮崎正勝「海からの世界史」角川選書、68頁。瀛州は、蓬莱や方丈ともに東方三神山のひとつである。
+^ 「有漢、皇魏、聖晋、大宋」等。例外として「大元・大明・大清」があり、この3例のみ二文字で正式国名。
+^ 日本国の公印である「国璽」では、明治時代に作製された「大日本國璽」が使用され続けている。
+^ 『日本書紀神代講述』早稲田大学図書館蔵
+^ 「rib?n」表記は中国標準語(または北京語)の場合。なお、中国語のアルファベット表記にはさまざまな形式があり、この場合の「ri(日)」も形式によって「rih」「jih」などとも表記される(en:Bopomofo#Comparisonを参照)。つまり、この子音は「r」にも「j」にも似た音であり、特に巻き舌をしない地域(台湾南部など)では「j」や「z」に発音が近い。一方、第2音節の「b」は「p」の無気音で、いわゆる濁音の「b」とは異なるが、アルファベットにはそれに相当する文字がないため、「b」が用いられる。「?」はシュワーだが、英語などの曖昧母音とは性格が異なる、1つの独立した母音(「エ」と「オ」の中間のような音)である。この「b?」に相当する日本語の文字がないため、ここでは便宜上、「ベ」としてある。
+^ ベトナムは、フランスの植民地になるまで漢字を使用していた時代の名残。ベトナム語大辞典などで実際の発音を確認できる。
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-3
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-4
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-5
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-6
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-7
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-8
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-9
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-10
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-11
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-13
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-14
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-22
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-23
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-24
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-25
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-26
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-27
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-28
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-29
+^ 九州大学附属図書館所蔵「アジア図2」-31
+^ 網野善彦『「日本」とは何か 日本の歴史00』(講談社、2000)など
+^ 「広辞苑」(岩波書店、2008年1月第6版発行)によれば、「近代」とは「広義には近世と同義で、一般には封建制社会のあとをうけた資本主義社会についていう。日本史では明治維新から太平洋戦争の終結までとするのが通説。」と、「現代」とは「日本史では太平洋戦争の敗戦以後または保守合同の1955年以降、世界史では19世紀末の帝国主義成立期以後、ロシア革命と第一次世界大戦以後、第二次世界大戦後など、さまざまな区分が行われている。」とそれぞれ定義されている。
+^ 網野善彦 『前掲書』。
+^ 高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「琉球王国」の項目によれば、「1609(慶長14)薩摩藩が大軍をもって征服し、以後薩摩は琉球の王国体制を温存し、奄美諸島を直轄地とし、琉球王国に貢納を課し、那覇に在番奉行を置いた。」と記されている。
+^ 前掲の「小笠原諸島」によれば、「1827(文政10)イギリス軍艦が探検、占領。その後アメリカ人が移住。」と記載されている。
+^ 『歴史、未来をみつめて』教育出版
+^ 高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「満州事変」の項目によれば、「1931年(昭和6年)9月18日の柳条湖事件によって開始された日本の満州(中国東北部)侵略戦争。」と記されている。
+^ 日中韓3国共通歴史教材委員会編『日本・中国・韓国共同編集 未来をひらく歴史 東アジア3国の近現代史』(高文研、2005年5月発行)の「第3章 侵略戦争と民衆の被害」の「1節 日本の中国東北地方への侵略」の「1 満州事変」の105ページの左上に掲載されている「リットン調査書(一部)」によれば、「満州の主権は中国に属する。日本軍の軍事行動は正当なる自衛行動とは認められない。(満州国)政府の指導者は名目上満州人であるが、実権は日本の官僚と顧問が掌握している。現地の中国人の目には、日本人の道具になっていると映っている。」と記載されている。
+^ 那珂通世は、『緯書』の鄭玄注に、1260年に一度(干支一運の60年(「1元」)×21元=「1蔀」)の辛酉年には大革命が起こるとあり、これをもって推古天皇9年(601年)の辛酉年から1260年前で当たる紀元前660年に神武天皇が即位したとされたとする説を唱えた。なお、神武天皇に殺された長髄彦の兄安日彦が津軽に亡命したことをもって日本の建国とする古文書・古文献(『中尊寺文書』、『平泉雑記』など)が東北地方に伝わる。
+^ 一部の現行法では有効。「閏年ニ関スル件」(明治31年勅令第90号)などの法律文書に記載されている
+^ 日本の憲法体系では、新旧憲法ともに領土規定が存在せず、比較法学の観点ではこれは異例である。明治憲法には領土規定がなく、ロエスエル案の段階においては、領土は自明のものであり、また国体に関わり議院に属さないものだとして領土規定は立ち消えたのであるが、実際にはロエスエルの認識とは異なり日本の領土は北(樺太・北海道)も南(琉球)も対外政策は不安定な中にあった。この事情は明治政府にとって好都合であったことは確かで露骨なものとしては「我カ憲法ハ領土ニ就イテ規定スル所ナシ、諸国憲法ノ或ハ領土ヲ列挙スルト甚タ異レリ、サレハ我ニ在リテハ、領土ノ獲得ハ憲法改正ノ手続ヲ要セス」(上杉慎吉「新稿・憲法述義」1924年P.143)と解されていた。*「憲法における領土」石村修(法制理論39pp158-185.2007-03.新潟大学法学会ISSN-0286-1577)[4][5]*「植民地法制の形成-序説-」石村修(専修大学法科大学院 第6回東アジア法哲学会シンポジウム)[6]
+^ 国土交通省サイト 離島振興課 離島とは(島の基礎知識)[7] 2009年11月27日閲覧
+^ 海上保安庁海洋情報部. “日本の領海等概念図”. 2007年9月13日閲覧。
+^ “海上保安庁パンフレット”. 海上保安庁. 2012年4月28日閲覧。
+^ “日本の大陸棚拡張、国連が認定 沖ノ鳥島周辺など”. 日経新聞. (2012年4月28日) 2012年4月28日閲覧。
+^ 帝国書院編集部『新編標準高等地図 最新版』(帝国書院、2003年9月発行)の「気候(二)」の「(2) 日本におけるケッペンの気候区」(102ページ右上)による。
+^ 1970年代以降、横ばい状況にある。ブラジル57%、カナダ51%など、減少傾向にある世界各国の森林率に比べると突出した数値である。
+^ “日本のラムサール条約湿地”. 環境省. 2011年4月4日閲覧。
+^ “日本近海は生物多様性のホットスポット、全海洋生物種数の14.6%が分布 (PDF)”. 海洋研究開発機構 (2010年7月26日). 2010年10月16日閲覧。
+^ 三橋規宏『環境経済入門』日経文庫:2007
+^ 谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「中部地方」の項目によれば、「北陸・東山(中央高地)・東海の3地方に区分される」と記載されている。
+^ 『広辞苑』(岩波書店、2008年1月第六版発行)の「中部地方」の項目にも、「北陸・中央高地・東海の3地方にも区分される。」と記載されている。
+^ 谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「北陸地方」の項目によれば、「北陸3県:富山・石川・福井, 北陸4県:北陸3県に新潟県を加える。普通4県の総称。上代からの北陸道の地域。」となっている。
+^ 『広辞苑』(岩波書店、2008年1月第六版発行)の「北陸」の項目によれば、「(1)富山・石川・福井・新潟4県の総称。北陸地方。(2)北陸道の略」となっている。
+^ 高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「北陸道」の項目によれば、「愛発(あらち)の関以北の日本海に面した若狭・越前・越中・越後・加賀・能登・佐渡の7国からなる。」となっている。
+^ 谷岡武雄・山口恵一郎監修・三省堂編集所編『コンサイス日本地名事典 第3版』(三省堂、1989年12月発行)の「東山地方」の項目によれば、「岐阜・長野・山梨3県の地。地理的には岐阜県では北部の飛騨(ひだ)のみを含み, 南部の美濃(みの)は東海地方に属する。」となっている。
+^ 前掲の「中央高地」の項目によれば、「山梨・長野・岐阜3県にまたがる本州中央部の高地地域の称。(中略)地理区としては東山地方と同義で, 東海地方・北陸地方に対する。」となっている。
+^ 高柳光寿・竹内理三編『角川日本史辞典 第二版』(角川書店、1974年12月発行)の「琉球」の項目には「1609(慶長14)薩摩藩領として分割される以前の奄美諸島を含む。」と記されている。
+^ 柴田武編『世界のことば小事典』(大修館書店、1993年6月初版発行)の「29 沖縄語」(船津好明執筆)の「主な使用地域」によれば、「広い意味では奄美から八重山までの、いわゆる琉球語圏を、狭い意味では首里を指す。」と記されるほか、114頁の地図によると、トカラ列島と奄美諸島との間に「言語境」が引かれている。なお、「ことばの背景」の冒頭には「沖縄語は日本語であり、共通語に対して方言として位置づけられます。」と明記している。
+^ 猪川倫好監修・三省堂編集所編『三省堂生物小事典 第4版』(三省堂、1994年2月発行)の「渡瀬線」の項目によれば、「哺乳類・両生類・爬虫類・シロアリなどについて調査した結果、旧北区と旧東洋区との分布境界線として提唱した奄美大島と屋久島の間の線」と記されている。
+^ 例えば東京外国語大学語学研究所編『世界の言語ガイドブック 2 アジア・アフリカ地域』(三省堂、1998年3月発行)の「日本語」(早津恵美子執筆)の「1 使用人口・分布地域」の294頁に掲載されている地図によれば、琉球方言は奄美・沖縄・先島の3方言から構成されている描き方となっている。なお、「2 系統・歴史」には「琉球諸島で話されている言語と本土で話されている言語とが同系であることは、言語学的には明らかだとされ、日本語の方言としてまず大きく、琉球方言と本土方言に分けるのが一般的である。」とも明記している。
+^ 帝国書院編集部編『標準高等地図-地図で読む現代社会-新訂版』(帝国書院、2004年1月発行)の「統計資料」のうち「(12)日本のおもな都市の月平均気温・月降水量」によると、「南西諸島の気候」の気候区として奄美市名瀬と那覇が列挙されている。
+^ 総務省統計局 (2007年1月22日). “人口推計月報”. 2007年9月13日閲覧。
+^ Central Intelligence Agency, "Japan". “The World Fact Book Online ed.”. 2007年9月13日閲覧。
+^ 『平成22年国勢調査 人口速報集計結果 全国・都道府県・市区町村別人口及び世帯 統計表』(総務省統計局、2011年2月25日発表)による。
+^ 前掲による。
+^ “The World Factbook” (英語). CIA (2012年3月6日). 2012年3月25日閲覧。
+^ a b 人口統計[リンク切れ] および帰化統計 日本国 総務省 統計局
+^ 「朝鮮戦争と日本の対応」庄司潤一郎(防衛研究所紀要第8巻第3号2006.3)[8]2章P.44以降に詳しい
+^ ここからの記述について『書評:安井三吉著:帝国日本と華僑-日本・台湾・朝鮮』陳来幸(現代中国研究第19号2006.10.7)[9][10]から起筆した。
+^ 明治32年勅令第352号「条約若ハ慣行ニ依リ居住ノ自由ヲ有セサル外国人ノ居住及営業等ニ関スル件」
+^ 陳来幸2006.10.7によれば「韓国人には慣行により内地雑居が容認されてい(た)」(P.75、PDF-P.3)
+^ 在日台湾人は1930年代に入るまでは少なく、しかもその大半は留学生であったといわれている。「近代日本と外国人労働者」山脇啓造(明石書店1994)P.11
+^ 「第二次世界大戦前後の日本における台湾出身者の定住の一過程」黄嘉h (海港都市研究 神戸大学文学部 海港都市研究センター2008.03)[11][12]
+^ 1920年代の東京在住中国人労働者については「1920年代の東京府における中国人労働者の就業構造と居住分化」阿部康久(名古屋大学人文地理第51巻第1号1999年)[13][14]が詳しい。
+^ 朝鮮領域の外に出るものは居住地所轄警察署ないし駐在所が証明書を下付することを規定した。旅行届出許可制。朝鮮籍臣民は日本への旅行(あるいはその名目での転出)は大幅に制限されたが、満州への旅行はほとんど制限がなく、税関審査程度での渡航や旅行が認められていた。『植民地朝鮮における朝鮮総督府の観光政策』李良姫(北東アジア研究第13号2007年3月 島根県立大学北東アジア地域研究センター )[15][16]
+^ これは戦時中に隣組の一員として認めてもらうことができず、配給が受けられないなどの具体的な困難として現れた。
+^ 裁判所法74条では、「裁判所では、日本語を用いる。」と定められている。
+^ 外国語を正文とする条約は、日本における国内法的効力に注目すれば、「外国語で記された日本法」ということになる。
+^ 文部科学省 (1995年11月1日). “第二〇期国語審議会 新しい時代に応じた国語施策について(審議経過報告)”. 2009年12月29日閲覧。
+^ 石井米雄編『世界のことば・辞書の辞典 アジア編』(三省堂、2008年8月発行)の「琉球語」(高江洲頼子執筆)の冒頭に、「琉球語は奄美大島から与那国まで距離にして約1,000キロメートルにわたる琉球列島の島々で話されてきた言語の総称である。大きくは奄美・沖縄方言群(北琉球方言)と宮古・八重山方言群(南琉球方言)に区分され, 両者はまったく通じないくらい異なっている。さらに方言は島ごとに異なり, 細かくは村落共同体の字ごとに異なるといわれてきた。」と記載されている。
+^ 梶茂樹・中島由美・林徹編『事典 世界のことば141』(大修館書店、2009年8月初版発行)の「2 沖縄語」(西岡敏執筆)の「どんな言語?」には、「ウチナーグチは琉球諸方言の1つで沖縄方言とも呼ばれ、北琉球方言群に属します。同じく北琉球方言群に属するのは奄美諸島の奄美方言で、こちらは行政的に鹿児島県に属します。この行政区分は、17世紀はじめ、日本の薩摩藩が琉球を攻めて、奄美諸島を直轄地に、沖縄諸島以南を琉球王国の支配に任せたことに由来します。沖縄と奄美が言語的に近いのに比べ、同じ沖縄県に属している宮古・八重山の言語は沖縄島の言語と通じ合わないほど異なり、南琉球方言群を形成しています。」と記載されている。
+^ 1973年6月28日参議院内閣委員会、政府委員吉國一郎内閣法制局長官答弁
+^ ロシアが実効支配している6村は数に含まれていない。
+^ 町村総会の場合もある。
+^ 法務省. “犯罪白書>平成19年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第3章 裁判>第1節 終局裁判>1 裁判確定人員>2-3-1-1-表 全事件裁判確定人員”. 2008年8月26日閲覧。
+^ 法務省. “犯罪白書>平成15年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第3章 裁判>第1節 終局裁判>1 裁判確定人員>2-3-2-1-表 全事件裁判確定人員”. 2008年8月26日閲覧。
+^ 法務省. “犯罪白書>平成14年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の処遇>第3章 裁判>第2節 終局裁判>1 裁判確定人員>2-3-2-1-表 全事件裁判確定人員”. 2008年8月26日閲覧。
+^ 法務省. “犯罪白書>平成9年版の犯罪白書>第2編 憲法施行50年の犯罪者処遇>第4章 裁判>第2節 終局裁判>1 全事件裁判確定人員>II-4表 全事件裁判確定人員”. 2008年8月26日閲覧。
+^ a b 犯罪の世界を漂う. “死刑執行・判決推移”. 2008年8月26日閲覧。
+^ 法務省. “犯罪白書>昭和35年版の犯罪白書>第2編 犯罪者の確定>第1章 犯罪の捜査、検察および裁判>第5節 終局裁判>1 死刑>II-37表 罪名別の死刑確定人員等”. 2008年8月26日閲覧。
+^ 法務省. “犯罪白書>昭和43年版の犯罪白書>目次>第3編 犯罪と犯罪者処遇の100年>III-7表 死刑執行人員(明治6〜昭和42年)”. 2008年8月26日閲覧。
+^ Reporters sans frontieres - Japan - Annual report 2007
+^ Reporters sans frontieres - Annual Worldwide Press Freedom Index - 2007
+^ 台湾出身の黄文雄は、日中関係は「親善」ではなく「友好」であり、「呉越同舟」状態にあるという(支那の本質より)。
+^ http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2012053102000083.html
+^ 在大韓民国日本国大使館 韓国政府による日本文化開放政策 2003.12.30
+^ 鈴木一司 韓国における日本大衆文化の開放 2004年3月15日
+^ 牛山隆一 (2010年12月13日). “日タイ貿易、日中に勝る緊密度(アジアBiz新潮流)”. 日本経済新聞 2010年12月14日閲覧。
+^ a b 町村大臣のブルネイ、ベトナム及びカンボジア訪問 (概要と評価) 外務省
+^ インドネシアの警察に対する市民警察活動促進プロジェクトは、日本の交番システムなどをインドネシアにも導入し成果をあげたといわれる。草野厚『ODAの現場で考えたこと』日本放送出版協会 (2010/04)
+^ 知的財産権総局を対象とした知的財産に関する法整備支援[17]や、裁判所を対象とした法整備支援など(2009年まで)インドネシア法整備支援
+^ 松尾美江「オランダ日系2世、父捜し―インドネシア駐留兵の子ら 平戸で交流会」『朝日新聞』2008年9月10日付朝刊(長崎)、31頁。
+^ “日印首脳会談、安保共同宣言に署名”. 産経新聞. 2008年10月22日閲覧。
+^ 1996年2月29日、毎日新聞記事より。
+^ “報道官会見記録(要旨)(平成22年1月)”. 外務省. 2012年4月28日閲覧。
+^ 与那国島沖に拡大 防空識別圏、台湾に説明 - 産経新聞[リンク切れ] 2010年5月26日
+^ 台湾が「遺憾」 与那国島付近の防空識別圏見直し - 朝日新聞[リンク切れ] 2010年5月29日
+^ “日本人は「世界一歓迎される観光客」”. ITmedia. 2007年5月29日閲覧。
+^ UNODC. “Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Fifth Survey (1990 - 1994)”. 2008年8月26日閲覧。
+^ UNODC. “Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Sixth Survey (1995 - 1997)>Sorted by variable”. 2008年8月26日閲覧。
+^ UNODC. “Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Seventh Survey (1998 - 2000)>Sorted by variable”. 2008年8月26日閲覧。
+^ UNODC. “Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Eighth Survey (2001 - 2002)>Sorted by variable”. 2008年8月26日閲覧。
+^ UNODC. “Data and Analysis>Crime surveys>The periodic United Nations Surveys of Crime Trends and Operations of Criminal Justice Systems>Ninth Survey (2003 - 2004)>Values and Rates per 100,000 Total Population Listed by Country”. 2008年8月26日閲覧。
+^ 日本有事の際米軍は自動参戦ではない。米軍はアメリカ大統領命令により軍事行動を開始するが、大統領命令から二ヶ月を経過した場合、米軍の活動継続には米国議会の同意が必要となる。最初の大統領命令、そして二ヶ月経過後議会の同意がなければ、米軍による日本の防衛は行われない。 田母神俊雄 『田母神国軍』ISBN 978-4819111164
+^ 憲法との兼ね合いから正式な国軍化がされていないが、ハーグ陸戦条約が定めるところの交戦資格を持つ団体の条件を有しており、事実上の軍隊と見做される
+^ Vision of Humanity>Global Peace Index - Methodology and Data Sources 2009年10月6日閲覧
+^ Vision of Humanity>Global Peace Index 2009年10月6日閲覧
+^ SIPRI>Databases>sources and methods>SIPRI military expenditure database on line>SIPRI Military Expenditure Database 2009年10月6日閲覧
+^ CIA>World Factbook>Country Comparison>Military expenditures 2009年10月6日閲覧
+^ a b SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>The 15 major spender countries in 2008(table) 2009年10月6日閲覧
+^ 同盟国米による指摘と是正要請シーファー米駐日大使、防衛費の増額を期待(産経新聞2008年5月20日配信)[リンク切れ]JapanToday版
+^ 米国防次官補「防衛予算や思いやり予算を増やすべき」時事通信2010年7月27日
+^ 武器輸出三原則「見直しも」 北沢防衛相(共同通信2010/01/12配信)
+^ 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成21年度予算の概要>PDFの27ページ、文書の24ページ 2009年10月6日閲覧
+^ SIPRI>Military Expenditure and Arms Production>data on military expenditure>Recent trends in military expenditure 2009年10月6日閲覧
+^ 内閣府>統計情報・調査結果>SNA>2. 統計表一覧>法令、予算及び決算>1-2. 時系列表(GDP・雇用者報酬) (2) 時系列表 I. 国内総生産(支出側)及び各需要項目>名目暦年>PDFの31ページ 2009年10月6日閲覧
+^ 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成20年度予算の概要>PDFの32ページ、文書の30ページ 2009年10月6日閲覧
+^ 防衛省>法令、予算及び決算>防衛予算関連文書>我が国の防衛と予算>平成21年度予算の概要>PDFの31ページ、文書の28ページ&PDFの36ページ、文書の33ページ 2009年10月6日閲覧
+^ 中国の軍事力を脅威にしがちな要因の1つは、その軍事態勢の秘密性にある。古森 義久(ジャパンビジネスプレス2012.06.20掲載)より引用
+^ 「台湾は、中華人民共和国の神聖な領土の一部である。祖国統一の大業を完成することは、台湾の同胞を含む、全中国人民の神聖な責務である。」中国の憲法(国?)序文より引用
+^ 独立行政法人産業技術総合研究所暴露係数ハンドブック[18]
+^ 厚生労働省. “日本人の平均余命”. 2008年4月9日閲覧。
+^ 世界保健機関(WHO). “Data and statistics”. 2008年4月9日閲覧。
+^ WHO. “Data and Statistics>World Health Statistics 2007 - Health systems human resources”. 2008年5月4日閲覧。
+^ WHO. “Data and Statistics>World Health Statistics 2007 - Health systems expenditures in health”. 2008年5月4日閲覧。
+^ 山田昌弘『少子社会日本―もうひとつの格差のゆくえ』(岩波新書、2007年)
+^ 法令データ提供システム. “自殺対策基本法”. 2008年6月19日閲覧。
+^ http://www.treasury.gov/resource-center/data-chart-center/tic/Documents/mfh.txt
+^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/001817820110927002.htm?OpenDocument
+^ http://www.shugiin.go.jp/itdb_kaigiroku.nsf/html/kaigiroku/003018020120302001.htm?OpenDocument
+^ 旧共産圏や韓国、メキシコ、トルコなどは含まれない
+^ “総務省統計局〈2〉(就業状態、完全失業者数、完全失業率等)”. 2009年5月30日閲覧。
+^ 農林水産省国際部国際政策課 (2006年5月23日). “農林水産物輸出入概況(2005年) (PDF)”. 2007年9月13日閲覧。
+^ 日本銀行函館支店. “最近の水産物の輸出急増とその背景(2005年)”. 2010年2月10日閲覧。
+^ 日本地質学会 地質全般Q&A[19]Q25.
+^ 2004年[20]
+^ 矢野恒太記念会編『日本国勢図会』2004/05年版(第62版)、2004年6月、ISBN 4-87549-132-8
+^ “平成22年末 本邦対外資産負債残高の概要(参考3) (PDF)”. 財務省. 2012年4月18日閲覧。
+^ “日本の財政関係資料 (PDF)”. 財務省. 2012年4月18日閲覧。
+参考文献 [編集]
+
+谷岡一郎、仁田道夫、岩井紀子『日本人の意識と行動』東京大学出版会 ISBN 978-4-13-056101-3
+関連項目 [編集]
+
+ ポータル 日本
+ 日本に関連するメディアがあります。
+日本の観光
+大日本帝国憲法下の日本
+連合国軍占領下の日本
+日本語
+先進国
+倭
+和風
+外部リンク [編集]
+
+ウィキペディアの姉妹プロジェクトで
+「日本」に関する情報が検索できます。
+ ウィクショナリーで辞書項目
+ ウィキブックスで教科書や解説書
+ ウィキクォートで引用句集
+ ウィキソースで原文
+ コモンズでマルチメディア
+ ウィキニュースでニュース
+ ウィキバーシティで学習支援
+政府
+内閣府
+首相官邸
+総務省統計局
+観光
+日本政府観光局 \ No newline at end of file